【観劇感想】『四月は君の嘘』

 

四月は君の嘘」観劇してきました。

アニメや原作は物凄く評判が良くて、興味はずっとあったのですが、まさか最初に拝見するのが舞台になるとは思いませんでした。

(私こういうのばかりですね…)

 

「漫画読んだことあるから知ってるよ!」という方も多いと思いますが、まずは公式サイトからのあらすじを失礼します。


『ヒューマンメトロノームとも揶揄された正確無比なピアノ演奏』
『幼少から数多くのコンクール優勝』
そんな過去を持つ天才ピアニスト有馬公生は
母親の死をきっかけにピアノの音が聞こえなくなり
演奏から遠ざかっていた。
公生を心配する幼馴染みの澤部椿や渡亮太と学生生活を送り
新学期になった四月———
公生は同じ年のヴァイオリニスト宮園かをりと出会う。
かをりとの日々はモノクロの心をカラフルに色付け公生の世界を変えてゆく。
ある日、かをりはヴァイオリンコンクールのピアノ伴奏に公生を指名。
再び鍵盤に触れたことで公生の中に新たな感情が芽生える。
友人、ライバル、恩師と過ごす春夏秋冬は
美しくも切ない嘘の物語を紡ぎ出す。

「もうすぐ春が来る、君と出会った春が来る。

 

 

観劇を決めた理由は私の二大好きな舞台の一つである『Club SLAZY』の演出と脚本をされている三浦香さんと伊勢直弘さんのタッグの作品だったから。そして、演奏シーンは生演奏!というのにつられて観劇を決めた訳です。

 

今回は三浦さんが脚本・伊勢さんが演出というSLAZYとは逆の組み合わせでしたが、三浦さんの叙情的な脚本の雰囲気が『四月は君の嘘』の世界観にとてもマッチしており、内容も恐らく端折ってはいるのだと思いますが、演奏シーンや話の見せ場を盛り込んだ中話を知らなくてもストーリーを消化出来たので、かなり丁寧に2時間で纏まっている印象でした。舞台装置もピアノを模した階段や五線譜を模したカーテンと工夫が凝らされていて、とにかく舞台も音楽も内容も綺麗な舞台だったな…という印象です。

 

出演俳優さんの強さ

 

安西慎太郎さんと和田雅成さん。

このスター級の2人がこの舞台を牽引したと行っても過言ではないと思います。

 

まず今回の1番の感想は

安西慎太郎推せてしまうやないかーい!!!

です(笑)

安西さん。何度か舞台で拝見したことがあるんですけど、毎回拝見する度に様々な魅力を発見して

「….推せる…!」

となるんですが、今回も多分に漏れず

「…推せる…!!」

となるのでした。

 

とにかく声が良い。あと、ちょっと繊細な内面を表出させる演技が凄く上手い。今回の公生や、私が以前見た『男水!』の礼央はタイプは違えど腹にいちもつ抱えてるタイプの役なんですけど、その内面が見えてくる演技が本当に上手いんですよ。凄く心を揺さぶられて目が離せなくなるというか…。演技で「目が離せない」というような人の惹きつけ方をする俳優さんってなかなかいないと思うので、機会があれば安西くんも色んなタイプの役を拝見してみたいです。

あと今回の公生はメガネが似合ってて最高オブ最高でした。(個人趣味ですが…)

 

和田くんは本当に華がある俳優さん。顔の格好良さとかではないのですが、舞台に立ってるだけで目を惹く。佇まいだけで華やかなオーラがある。和田くんはどちらかというとカメレオンタイプの俳優というより、自分と役を擦り合わせて落とし込むタイプの俳優さんなんだろうなあ…と思っているのですが、どの役も”和田雅成としての演技”を魅せてきて凄いなあ…と思います。

 

そして脇を固める大人役の人々の演技力の強さよ…!みかしゅんさんや小玉さん、そして田中さんは本当素晴らしかったです。大人役が大人だと(わかりづらい表現ですが)安心して世界に入れます。

 

松永さんや河内さんの女の子役の方々もとても可愛くて魅力的だったんですが、2人とも感情が高ぶる演技の声がキャンキャン聞こえてしまったのがちょっと残念だったなあ…

 

生演奏という強さ

 

これ。これですよ。この舞台の魅力をさらに引き上げたのは生演奏であり、プレイヤーさんは今回の影の主役だと思っています。

ピアニストとヴァイオリニストはそれぞれ芸大卒の一流プレイヤー。特にピアニストの方は劇中に出てくる登場人物ごとに弾き方のタッチを変えたり、公生が精神的に追い込まれてピアノが弾けなくなる様を表現したりととにかく凄い。コンクールを1人3役別のタッチで演奏したのと、かをり不在のガラコンサートのピアノの表現は当に圧巻。しかも映画やアニメと違い毎回生演奏なので、演技ばりの生きた演奏が聴けてしまう贅沢さに賞賛しかありません。

 

今回のピアニストを務めている松村さんは尺八奏者もされているらしく、折込のチラシに尺八奏者としてのコンサートのチラシが入っていたのはまた別の意味で印象深かったです。

 

最後に個人的な意見なのですが、

さよならソルシエ」もそうなのですが、いわゆる”フラワーコミックス”系の少女漫画の舞台化って作品のネームバリューがないわけではないと思うのですが、ターゲットの層が難しい印象があるんですよね…

実際いずれも集客には苦戦している印象があります。

 

凄い好きな読み手の層は舞台よりアニメや映画に行ってしまうんだろうし、原作付き舞台が好きな層が見るにはもう少し少年誌的なハラハラドキドキを求めている気がするので少し観ていると物足りないと思ってしまうかもしれない。

 

ただ、「さよならソルシエ」も今回の「四月は君の嘘」繊細に丁寧に作りこまれて心にじんわりと染み渡るような叙情的な舞台です。普段舞台を観る方も、逆に余り観ない方も、観ることによって別の感覚が生まれる…そんな作品だと思います。

 

大きいハコでなくて構わないので、こういった丁寧で叙情的な作品の舞台化は今後も様々な作品で観てみたいな…と思うのでした。f:id:bonbonnikunikuoniku:20170830233601j:image

【ネタバレ観劇感想】ピースピット2017年本公演『グランギニョル』

 

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グランギニョル

吸血鬼社会を舞台に描かれる人気の根強い舞台『TRUMP』シリーズの最新作。観劇して参りました。シリーズはたまたま直近で評判を聞きつけてシリーズの冠が付くものは全て拝見していたのですが、”ゴシックサスペンス”と呼ばれるに相応しい唯一無二の世界観は今まで、いやそれ以上に洗練されて存在していました。

 

TRUMPシリーズは現在

『TRUMP』『LILIUM』『SPECTER』

 

Dステ12th『TRUMP』Blu-ray
 

 

 

 

 

 



 

の3作品がシリーズとして過去に上演されています。どの話も独立した話としても成り立っていますし、比較的末満さんの脚本は世界観や設定の説明を劇中に丁寧に入れてくれるのでどこから観ても楽しめると思いますが、全て観て他の作品との繋がりに気づくとより深淵たる絶望に打ちひしがれる巧みな作りになっています。

 

以下公式HPより今作のあらすじを一部抜粋させて頂きました。

名門家系の貴族であり、吸血種たちの最高統治機関《血盟議会》で将来を嘱望された若手議員ダリが、ゲルハルトというライバルと反目しあいながら《ある事件》を追うサスペンス劇です。吸血種たちの、絢爛豪華な社交界の裏で蠢く陰謀に近づきながら、ダリは自分の過酷な運命と向き合うこととなります。

今作の主人公ダリ・デリコとライバルのゲルハルト・フラは『TRUMP』に登場する繭期のヴァンプのウル・デリコとラファエロ・デリコ、そしてアンジェリコ・フラの父親に当たります。彼らの若かりし頃の話が紐解かれた時に新たな答えと闇が広がっていきます。

ここから先は毎度の如く過去シリーズも踏まえて盛大なネタバレを含む感想を展開するので読む方はご容赦ください。

 

絶望へ向かう希望と言う名の布石

 

グランギニョル』も過去作品と同様に作品単品でも完結しています。この作品だけを見ると絶望の中にも未来へ微かな希望が灯る様に見えます。”永遠の繭期”に閉じ込められていたキキは仲間の手によりその中から抜け出し、未来には誰かと結ばれ子孫を残すことを暗示されますし、スーの遺した子供ウルに実の父親(実際はちょっと違いますが。)のいわば呪いのようなイニシアチブを打ち消すかの様に「強く生きろ」とイニシアチブの元に命じるダリのラストシーンも未来への希望を暗示するシーンに取れると思います。

しかし、これら先の希望に繋がりそうな描写は見事に他のシリーズの話で全て絡め取られ絶望へと色を変えていくのです。シリーズ通して作品を知っている人にとってはここで希望を見せられてしまう事が事の顛末を知っている分逆に果てしなく辛い。

 

グランギニョル』を見て一番最初に頭を過ぎったのは『TRUMP』に登場するダリとゲルハルトの息子ラファエロ、アンジェリコ、そしてウルのことでした。

 

作中で明らかになるダリの息子ウルの出生の秘密。彼は腹違いの息子でもなんでもなく、いわば赤の他人。しかも短命で人間からも吸血鬼からも忌み嫌われるダンピールという存在。その上ダリ家は血統を重んじる吸血鬼社会に置いて、最上級の家系。ダンピールを家におくなど言語道断だったのではなかろうかと思うのです。

しかし、ダリを助けた女性スーとの約束、そして愛する妻フリーダの最期の願いというだけではなく、ダリ自身もラファエロ同様ウルも実の息子としてちゃんと愛していた。だからこそ『TRUMP』ではあの実の父親の呪いのことを知るが故にソフィに冷たく当たり、ソフィとウルを引き離そうとしたのだろうと言うことが垣間見えてきます。(実際ウルにかけられたイニシアチブは、実の父親とダリとはどちらの意思が強く優っていたのかは…『TRUMP』を観た人の判断…ということなのでしょうね。)ダリは誰よりも気高くそして、誰よりも家族を愛していた。それが垣間見えてしまうからこそ…苦しい。

 

そして、ゲルハルトは家を家族を守ることに執心すると同時に、永遠の命を望み、”TRUMP”を信仰していた1人でもありました。棄教したとは言え、その望みが全て易々と消えるはずが無いと私は思うのです。そして実の母親から忌み嫌われ、結果彼女を自殺に追い込んだ引き金とは言え、たった1人だけ残った大切な息子を…家を守ると言う意味でも、守るべき対象の息子自身と言う意味でも…自らもその存在に焦がれ、その存在に何よりもなりたかった”TRUMP”に殺されてしまった。なんという皮肉な運命。

 

彼らの守ろうとしていた大切なものは全て”TRUMP”の手によって消し去られてしまうのです。だからこそ『グランギニョル』と『TRUMP』を繋げて考えるとそれらが如実に解ってしまう分『グランギニョル』を見た後に黒い染みが広がる様な荒涼とした気持ちになるし、尚一層あの『TRUMP』の顛末が絶望感を帯びてくるのです。『TRUMP』のダリとゲルハルトはどのような気持ちであったのだろうか。そしてその先大切なものを全て”TRUMP”に奪い取られてどのようにして生きていくのだろうか…彼らの行く末が残酷ながら気になってしまいます。

 

余談ですが、キキの未来の遠い先の子孫は『LILIUM』に出てくるマリーゴールドであるだろうことも想像出来ます。しかしマリーゴールドも…グランギニョルで灯される希望は全て摘み取られていきます。

そういう意味でもある種真の意味で残酷劇かもしれません。

 

貴族が貴族たる俳優陣の強さ

 

ここから先は作品の感想ではなく、俳優さんの感想になるのですが、末満さんに主演2人は「この世代で一番貴族が似合う2人を選んだ。」というお墨付きがあるだけあってどこをどう切り取っても貴族!豪奢な衣装に負けないだけの美貌と雰囲気を持っています。

正直グランギニョルは出演者も豪華ですが、何より主演の二人を見るだけでもチケット分の価値はあります。絶対。気持ちはルーベンスの絵を垣間見るネロとパトラッシュの気分です(笑)

 

三浦さんの女性と見まごう美しき美貌と品のある立ち振る舞い。男性なのにあのコルセットガッツリな衣装を着こなしてしまうとは何事!?

そして両手で星を掴もうとする動作はもう画としても美し過ぎて本当に宗教画の様で…

また、気位の高い感じや時折見せるダリに向ける妖艶な空気。美しさと妖しさを見に纏ったどこからどう切り取っても”ゲルハルト・フラ”!!歌もお上手なので個人的には劇中歌を歌って欲しかった…

ゲルハルト割と気位は高くても中身は脆そうな印象なんですけど、あんなゲルハルトからどうやったらアンジェリコみたいな息子が育つのか割と不思議でした。いや、家系を重んじると言う点では納得なのかもしれません。

 

そして染谷さんのダリ・デリコ。

実は私染谷さん結構応援しておりまして、過去にこんなブログを書いたことがあります。

推しの話をしてみよう - 世界の中心で好きを好きだと叫びたい

この染谷さんの項に書いた”こんな役やって欲しいな〜”が

全てダリ・デリコではないですか〜〜!!!

と一人で後から読み返して勝手に打ち震えました。派手な殺陣と綺麗な太刀筋、

翳りがあって、ちょっと狂気を孕んだシーンもありつつとにかく強い。いろんな意味で強い。豪奢な衣装をヒラヒラと翻してと見下した瞳で見下した台詞を言い放つダリを見て「私!こういう染谷さんめっちゃ待ってた!!」とちょっとだけ話そっちのけで興奮したのは言うまでもありません…

多分刀剣乱舞がきっかけのご縁なのかなあ…と勝手に思っているのですが、好きな俳優さんが好きな舞台手掛けてる演出家さんに見初められて素敵な舞台でお仕事戴けるのってファンとしてもめちゃくちゃ嬉しいのでめっちゃ個人的なんですけど本当にありがとうございますな気持ちでいっぱいです(笑)

 

 

作品としても演者のレベルと言う点でも、そしてブログ中では言及しませんでしたが劇中音楽も素晴らしい『グランギニョル

シリーズの深淵たる闇はこれからも広がっていくのかと思うと身悶えします。私もまだまだTRUMPシリーズ初心者ですが、是非この作品で興味を持った方は他の作品を観ることをお勧めします。きっと想像を超える絶望が貴方の前に広がるはずです。

One on One 29th公演「レプリカ」

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別れさせ屋の男と、恋愛コンサルタントの女。2人が出会ったのは偶然?必然?2人の関係はレプリカの恋?それとも…

 

法月康平くんが出演されると言うことで興味を持ってチケットを取ったんですが

 

一言で言うと

すっげえキュンキュンしました…!

明るくてポップで親しみ易い曲に乗せて展開される男女の恋の物語。月9や少女漫画に迷い込んだ様な甘酸っぱいラブストーリーの中に、ちょっとしたファンタジーとリアリティとどんでん返しのスパイスが盛り込まれていて、ラストの幸せ溢れるハッピーエンドは「ひゃ〜!こんなん見せつけられちゃって良いの〜〜!!」と見ていてニヤニヤが止まらず…本当にとっても楽しかったです!

 

同時に100席程度の小さな劇場に出演者は生演奏の伴奏を含めて4人だけ。しかも話の中でほぼほぼ歌が途切れない。勝手な印象なんですが、大きな舞台は広い範囲かつ遠くまで届ける難しさがあると思うんですけど、小さな劇場は観ている人が近い分誤魔化しが効かず実力が如実に出てしまう難しさがあると思うんです。聴き応えのある歌唱力と細かい感情の機微を感じる演技…出演者の方々の実力に感服したミュージカルでした…!

 

以下今回は出演者の方々の感想を述べさせてください。

 

吉沢愛音(よしざわまなと)/法月康平さん

法月くんの上へ遠くへ通る歌声やバランスの良い立ち姿のシルエット(またエライ手のシルエットも綺麗なんだ…)そして舞台の中を登場人物として生きている様に錯覚してしまう演技が本当に好きで。今回はハコが小さい分その全ての良さを存分に堪能させて戴きました…!寧ろ「こんな供給過多で良いのか!?」って位(笑)

恋愛も人間関係も面倒臭くて興味ない。恋の話は仕事の時に聞かされる別れ話だけで充分…という斜に構えた感じの別れさせ屋。ちょっと不敵でニヒルな感じの演技や、彼女の為に一生懸命になったり段々余裕が無くなってく姿、そして等身大な感じの”恋愛をしている青年”の姿…舞台中に今回も「吉沢愛音」としてしか見えなくなる法月くんの演技は一粒で百度くらい美味しかったです。見た後に「法月康平は…良いぞ…」って条件反射の様に妹にLINEを送っていました(笑)

 

角田弥生(かどたやよい)/大胡愛恵さん

華奢で顔が小さくてちょっと小柄で…とっても綺麗で可愛かったです!売れっ子の恋愛コンサルタントでしっかりしたデキる女!…と見せかけて実は意外ににそうでもなく口が悪くて勝気で強気と見せかけてその実シャイで臆病。ついでに大食い。恐らく大胡さんの弥生とは自分と近しい年代の設定を感じ(多分Bの弥生では別の印象を受けると思う。)何と無く自分と重なる部分もあり「解る…解るぞ…!」と結構感情移入をしながら見てしまいました。全員が全員同じ様な意識の女性ばかりだとは思いませんが、自分からしてみると結構等身大な印象を受けてリアルだなあ…と思ったり。

弥生のバックボーンの話は女性からすると結構リアルに考える話だと思います。ファンタジー的な要素や明るさだけでなく、このリアルさが「レプリカ」というミュージカルに奥行きを与えている印象です。

歌はまたとにかくお上手でした!歌い方の感じがとても好きで…また法月くんの声と混ざると溶け合って2が5にも10にもなって抜群の厚みになるんですよ…!!また法月くんと並ぶと美男美女の理想のカップルと素敵なシルエットで堪らん!!

他の出演作を観たりもっと歌を聴いてみたい!と思う素敵な女優さんでした。

 

クピド/千田阿紗子さん

クピドの絵画のレプリカに潜む、レプリカのキューピッド。愛音の下に突然姿を現す。弥生のこともどうやら知っている様子…。パンフレットの感じを拝見するに恐らく以前弥生役として出演されていた方だと思われるのですが、話全体のファンタジーとトリックスター担当な感じや性別があえて解らない雰囲気もキューピッドぽくてとても良かったです。メインのお二人と声の感じもだいぶ違って、クピドはソロでメイン2人の絡みとは別に歌う曲も多いので輪郭のはっきりした存在感のある声はぴったりだな!と思いながら聴いてましたし、3人でアンサンブルで歌うと締まる感じで凄い良かったです。

 

 

曲や内容が余りにも個人的に好みだったので、CDを購入して来たのですが私が観て来たAチームとBチームは、演じられている年齢の違いや歌のアプローチの違いもありかなり雰囲気が違いました。公演プログラムに書かれていた「Aチームは月9でBチームは日10」という言葉に凄い納得してしまう感じ(笑)Aチームの方が若い感じの恋愛で少女漫画っぽくて、Bチームの方が大人の恋愛で女性向け漫画な感じ。同じ公演を全く別のキャストで演じるて両方のアプローチを見るのも絶対面白いよな…!と思っています。

豪華絢爛な海外のミュージカルも凄い良いけど、国産のオリジナルミュージカルも素敵だよなあ…と改めて思いました。しかも小劇場の間近な距離で歌もお芝居もこんな贅沢な思いを出来るなんて!!

とても素晴らしい公演を観せて戴きました。本当にありがとうございました!

 

※8/4 ちょっとだけ追記しました。

 

2.5次元舞台を2.5次元以外の目的で見に行った話

先日(と言っても2ヶ月位前になってしまいましたが…)「遥かなる時空の中で6 〜幻燈ロンド〜」を観劇してきました。

 

 

 

 

舞台としてもとても面白い作品で、女性向けシミュレーションゲームが元なので色々とルートがあるのでしょうが、話もとても纏まっていて終わる頃には世界観にどっぷり浸っていました。

 

しかし、ファンの方に大変申し訳ないのですが、遥かは元になっているゲームや登場人物は勿論知っているんですけど、実はプレイをしたことがないのです。

(すいません!あ、石投げないで!!すいません!!!)

 

それならば何故観に行ったのか…というと、この舞台の脚本・演出を手がけている西森英行さんの演出がとても好きで、他の演出作品も見てみたいと思ったことと、西森さんが手がけている舞台である「メサイア」や「悪党」に出演していた橋本真一くんの他の舞台を見てみたかったことが一番に挙げられます。

それ以外もメサイアで黒子を演じていた小谷さんや、SLAZYのEyeball役の長倉くん、デビミュのメィジ役の吉岡さん。

アンサンブルの方もメサイアで拝見したことのある方が多く、極め付けは殺陣指導が六本木さん。そして何より主人公の女の子が可愛かった…!

 

普段拝見している舞台でよく見ている方ばかりで、

「これは行くしかないでしょ!!!」

と軽率にチケットを取ったのが成り行きです。

 

結論としては先述した通り舞台としてもとても面白かったのですが、2.5次元舞台に初めて出会った時の雰囲気や醍醐味を改めて肌で味わうことが出来る稀有な経験が出来た気がします。

 

西森演出の妙

 西森さんの演出は好きな所はいくつかあるのですが、丁寧な心理描写の掘り下げと、話の筋道の見せ方が非常に分かりやすい所が特に好きなんです。

 

2.5次元の舞台は原作ありきなので、原作ファンの人が多く当然見に来ます。そして、これまた当然なのですが、アニメで言う1クール位の情報量を2〜3時間に纏めているものが多く、その分内容が駆け足だったり、「内容知ってるから解るけど、そんないないとは思うけど初めて見る人に解りづらいんじゃないかなあ?」という印象を受けるもの結構あるんですよね…。でも、西森さんの演出は「この作品はどういった世界観の上でどういう登場人物で成り立っているか。」という紹介を冒頭で解りやすく紹介をしてくれます。登場人物紹介の見せ方が各作品において趣向が異なるのも好きです。そこからの話の筋道の立て方もとても解りやすい。冒頭に書いたように作品ファンは勿論、作品自体の話や世界観を知らなくてもその世界観にすっと入って観終わった頃にはその世界にどっぷり浸らせてくれる感じ。見に来た観客に世界観を魅せる演出と解りやすい筋道の脚本は今回も健在でした。

 

 2.5次元舞台の醍醐味

2.5次元舞台の醍醐味は何と言っても

”2次元の中にしか存在しなかった登場人物が次元を超えてこの3次元の世界に存在したと錯覚させること”だと思っています。

 

遙かなる時空の中で」というコンテンツは歴史もあるし、メジャーなタイトルではありますが、決して今物凄く流行している…というコンテンツではないと思います。その分作品をずっと愛している根強いコンテンツのファンしか来ない。そう言った作品を愛している人の御眼鏡に適う作品を作るには生半可なものでは通用しないし、集客も出来ない…と思うのです。

 

しかし、舞台の幕が下りた後に両手で口元を覆って目を潤ませている人や、「ヤバイ!ヤバイ!ヤーバイ!!」と口にしている人、そして終演後の物販の長蛇の列を見て2.5次元のコンテンツとしても素晴らしいものだったんだなあ。と強く感じました。

 

2.5次元コンテンツ。私もとても好きですが、流行もあり濫立しているのは決して否定しません。作品や作品のファンに対して敬意を感じない舞台も正直あります。そう言った点に関しては「遙かなる時空の中で」の舞台は俳優さんや、スタッフさんの丁寧な気持ちを感じることが出来る良い舞台でした。

 

来年の年末に遙かシリーズで最も人気があると言っても過言ではない「遥かなる時空の中で3」が西森さんの演出は変わらず、脚本に坪田文さんを迎え来年の年末に舞台化も決定しました。遥か3は実は積みゲーになっているので(本当にすいません!!!)今度はゲームをしっかりプレイしてまた観劇したいな…と思っています。

 

 

 

 

 



 

 

私が焦がれたメサイア有賀と間宮の話

 メサイアという作品は、作品の特性上主人公がバディを組んでおり、バディ毎のドラマにスポットが当たって話が展開されます。様々な魅力的な登場人物とバディが作中には登場しますが、制作サイドからも舞台シリーズの中で「奇跡の作品」と言わしめる鋼ノ章を牽引したメサイア。暗殺組織の党首の息子であり、暗殺のエキスパートだった有賀 涼と誰よりも音楽を愛し、誰よりも平和を願っていたプロのヴァイオリニストの間宮 星廉。真逆の環境で育った二人が運命の悪戯により交わってしまった故に辿ってしまった悲劇的な末路。そして、メサイアを組む前からどのメサイアよりも本質的に互いの救世主だったにも関わらず、メサイアになれなかった哀しき2人。そんな「奇跡の作品」に触れた私を観劇の世界へ引き込んだ有賀と間宮の2人について話をさせてください。

 

間宮とシュレディンガーの猫

 

 極夜で明らかになった間宮の過去は悲しくて壮絶なものでした。間宮はチャーチに入る所から堤貴也の掌の上で踊らされていた存在であり、彼の道具であると同時に実験動物でもありました。鋼ノ章の本編を観た当時クァンタムキャット(以外QCと略します)が結果として間宮以外外部の人間だったことに「本当に”シュレディンガーの猫”の存在そのものみたい……」と思っていたのですが、極夜を見てその思いは確信に変わりました。間宮はまさに堤貴也によって匣の中に閉じ込められた”シュレディンガーの猫”そのものだったのではないかと思います。

 

 先日演出を手がけている西森さんと脚本を手がけている毛利さんのメサイアトークショーに伺った際に、一緒に聞いていた妹が、

「”裏切っている/裏切っていない”という二つの状態の間宮自体がもはやシュレディンガーの猫の状態でトークショーの中であった、”有賀との絆を感じた時に裏切った”=観測結果的なものを感じた。人間誰しも同じ瞬間に『やめよう』『やろう』って意識が二つになることがあるとい思うし、そのどれに重きを置くかはその時次第だけど両極端の意識も同時に存在するってことに気づいて鋼を見てほしい」

と言っていて、その考えを聞いた私は「なるほどなあ……」と頷いてしまったのでした。

 

 間宮は鋼ノ章の中で2つの対局にある感情の間でずっと揺れ動いている印象があります。

 

自分は裏切り者だ。

自分は有賀のメサイアだ。

全てを壊して燃やし尽くしてしまいたい。

人を殺したくない。

 

 QCを庇っていたのもあるけれど、

「有賀がどんな気持ちで人を殺していたか考えたら怖くなって…悲しくなって…」

と言うのも間宮の本心だったと思うし、淮斗が有賀を陥れた際に

「俺、有賀のメサイアだから」

と淮斗を睨みつけた間宮も本心。

 

 極夜を見ていると間宮は有賀の実力と任務の遂行能力に対しては絶大な信頼をしていたであろうことが読み取れます。しかし、彼の本心には結局間宮自身では最後の最後まで辿り着けなかった。その結果が、鋼の最後の戦闘シーンで

「ごめんよ…有賀」

と泣きそうな顔で間宮が有賀に銃口を突きつけるシーンであり、「あの時殺してくれればこんなに悲しい思いをせずに済んだ。」と有賀に訴えるシーンであると思うのです。陥ってしまった現状に対しては勿論、有賀の想いをもっと早くに知っていたら……という謝罪。そして、最期に自分が心から求めていた、そして自分を求めている存在が側にいる事を知れた喜びと、有賀の想いを知ることが無ければこんなに心を揺さぶられることなく悪魔に魂を売ることが出来た…という悲しみ。間宮は最期の最期まで相反した感情に揺さぶれ続けるのです。

 

 結果として、間宮はサクラになるには優し過ぎたのだと思います。誰よりも平和を願い誰よりも平和を愛していたのに、自分の存在を根底から覆す出生とそれ故に利用されてしまった哀れな猫。

 

 では、本当に間宮は哀れなだけの存在だったのでしょうか。

 

 以下、西森英行さんのHPに掲載されていた鋼ノ章の冒頭のテーブル稽古の資料です。

 間宮はクアンタムキャットの接近を知り、動揺。
※バイオリン演奏…間宮は、もともとバイオリン演奏が純粋に好きで、幼く純粋な思いで奏でていた音色があった。
しかし、調印式典でのテロを経て、以降、純粋な音が出なくなった。その音を内心探している。「あの音が見つからない」。 メサイアとなった間宮は、心乱れるとバイオリンを弾く。演奏によって心を落ち着かせたいと思うが、内心「あの音」を探してしまうため、かえって心乱れる悪循環に陥る。(http://www.nishimorihideyuki.comより)

 調印式典でテロが起こる前に最後に弾いたのは『G線上のアリア』なのです。最後に弾かれた『G線上のアリア』は有賀への手向けと謝罪であり、映画の内容を踏まえるなら有賀を信じた間宮の”間宮レポート”に対するヒントであり、何より「あの音」を最後に取り戻させてくれた救い人に対する感謝と御礼だったのではないかな……と思うのです。それはエンディングでオープニングと逆の立ち位置で柔らかい笑顔でヴァイオリンを弾く間宮と上記の資料を併せて確信に変わりました。

 

そう。

 

最期のあの瞬間に間宮は有賀によって救われていた。

 

と。

 

有賀にとっての救いと枷

 

 間宮と有賀の設定でずるいのが、有賀の振る舞いだと思ってます。翡翠ノ章まで

「間宮との溝が埋まらない」

と言い、さして間宮に対して興味を示していない様に見えた有賀の実は何よりも誰よりも強い間宮へのベクトル。まあ、ずるいと同時に

「もっと早くにアクションを起こしていれば…!」

とは思ってしまうのですが。

 

 第2世代のサクラ候補生の面々は第1世代に比べてより闇が深いイメージがあるのです。いや、闇が深いというより闇に呑まれていったという表現の方がしっくりくるのかもしれません。時系列としては本編上は暁のオープニング手前→極夜→暁本編。という順番になるのだと思うのですが、暁乃刻で印象的に使われるチェーカーの

「死者に囚われて冥府に引き摺り込まれるな」

という台詞、これは白崎だけではなく有賀にもそのまま当てはまると私は思っていたのです。しかし、極夜を見た今、その見解は少し違っていたのかもしれないと考えるようになりました。有賀が冥府に引き摺り込まれなかったのは、何者でもない死者本人……即ち間宮がそれを望んでいなかったのだと。

 

  私が誰よりも焦がれたメサイアの2人はあの極夜での万夜の協力による邂逅の瞬間本当に文字通り永遠の”魂の伴侶”になったのだと思います。そして間宮は再び有賀を救ったと同時に併せて有賀へ大きな枷をかけました。言葉では示されませんでしたが、

 

『いつきと共に未来を歩んで欲しい』

 

という枷を。いつきとのメサイアを全うすることは同時に間宮の願いでもある。そう考えると暁の本編の有賀の行動も何となく見方が変わってきます。

 

 第2世代のサクラ候補生は総じて危うい印象を受けます。しかし、その中でも1人闇の中に生まれ、闇の中に生きて来たのが有賀という存在だと思うのです。”サクラになる資質は深い絶望”であるとするならば、有賀はサクラ候補生になった時間宮によって希望を灯されていたイレギュラーな存在。(元の出自が特殊とは言えども)しかし、結果として間宮を手にかけたことと、そして翡翠の時に何かアクションを起こしていればもしかしたらあの結末には至らなかったのかもしれないという後悔によって初めてサクラ候補生に必要な”深い絶望”という素質を真の意味で手に入れたのではないかと思うのです。しかし、そんな状況の中でも有賀はまた間宮によって未来へ生きる道を示されてしまった。結果として有賀は間宮と切っても切り離せないのです。

 私は間宮もいつきもそれぞれが最悪の状況に陥っても決して有賀のことは攻めない。むしろ2人ともタイプは違えど有賀に対して謝罪と感謝をするタイプのメサイアだとおもっています。(しかし、それが有賀にとって幸か不幸かは解りませんが……)

 

 私は最悪第2世代全てのサクラ候補生がいなくなってしまっても有賀だけは他の人の想いと己の罪と罰を背負いながら1人きりであの鋭い眼光で前を見据えて、茨の道を歩み生き続ける気がするのです。

 

 

  つらつらと有賀と間宮について書いてしまいましたが、2人の関係は極夜で一旦の区切りがついたのではないかと私は思っています。有賀は間宮の想いを抱えながら間宮と違った形でいつきとメサイアの関係を紡いでますし、きっと間宮は有賀といつきのすぐそばで2人の行く末を困った様な表情をしながら、そして2人のやりとりを笑いながら見守っているのではないか……と勝手に思っています。(宵宮のプロローグ辺りの有賀を見てめちゃくちゃ間宮は有賀を心配していたのではないかとも思ってます。どんな話かは動画がyou tubeに上がってるので是非)ここのメサイアは「逆めぞん一刻」みたいなメサイアの関係性かなあ。というのが個人的な最終的に至る見解です。

 

 いつきと有賀のメサイアが嫌いな訳ではありません。有賀と間宮のメサイアと有賀といつきのメサイアはそれぞれベクトルが違うと思っています。(だからこその暁の名前呼びの展開だと思っているのです)

 ただ、有賀と間宮の物語がなければここまでメサイアにも観劇にも傾倒することはなかったし、この一種特殊ないわば悲劇的な信仰にも悲恋にも近い感覚すら覚える有賀と間宮というメサイアは私の中でも特別な存在感を帯びているのだと思います。それは恐らくこれからも変わりません。

 

 9月の新作『悠久乃刻』有賀といつきの集大成。彼らにどんな試練が待ち受けているのか…。そして、彼等第2世代の物語にどんな終止符が打たれるのか今から心して待とうと思います。

 

SLAZYのトークイベントに行って来た。

CLIEサマーフェスティバル。

通称「クリサマ」

なんだかCLIEさんの手作り感溢れる学園祭みたいな夏フェス。

今年もSLAZY目当てに行って参りましたよ!SLAZYのトークイベントだけチケット瞬殺なのを見ていると、やはりCLIEの中の一大カテゴリなんだなあ…と改めて思います。

(インフェルノとか魔界王子も行きたいんだけどね。今回予定が合わなくて…)

 

ちなみに今回の内容はこんな感じ。

 

SLAZY楽曲総選挙

 

これね。今回のメイン。

ちなみに順位は以下の通り

 

10位 あなたは知らない
9位 Serenade
8位 Money Money
7位  A to Z
6位 CRAZY GIRL

5位 Show Business!
4位 Roller Coaster Life
3位 Garnet Star
2位 サヨナラ
1位 The Invitation

 

2位と1位は堅いなあ。と思っていた(ので敢えて入れなかった)けど、結構それ以外の楽曲の順位は意外でしたねー。

まあ、CRAZY GIRLとかSerenade、RCLは上位に来ると思ってましたが、トップエースの楽曲の強さよ…!!

 

あと、「もしも…」とか「Theme of SLAZY」が入ると思ってました。

 

(ちなみに私は「あなたは知らない」に入れました。大好きなんだよ…)

 

こちらの楽曲と11位の「Slave March」「Circus」「DRUG」「もしも…」はカラオケで配信されるようなので皆んなでカラオケで歌おう!!

(Theme of SLAZYも11位でしたが、カラオケで入ってるから続投かな?)

 

SLAZYでドン

 

タイトル間違ってるかもしれない…

SLAZYの曲のイントロドン。

何が凄いって、出演者で答える方もガチだけど、来ている386の方々もイントロ聴いていて「ああ…この曲ね…」っていう空気感が流れるあの会場全体のガチぶりが本当にヤバイ(笑)

このイントロクイズの空気感。是非機会があれば味わって頂きたい(笑)

 

そしてお待たせ!な

 

ドラマのSLAZYの詳細

 

 

個人的には我らが上司様Qちゃんのお名前が無かったのだけが本当に悲しくて残念。でも追加で来ると私は信じてます!

 

Deep・Act・Will・Kingと歴代トップエース揃い踏みなのも嬉しいところ。

そしてRetiさんも!!

 

とどのつまり

 

皆頼む!見てくれ!!

 

TOKYO MXは地域外でも「エムキャス」というスマホアプリで視聴が可能。

 

http://www.appps.jp/174989/

 

SLAZYも頼むからアプリで地域外の方々も見られますように!

 

 

SLAZYのイベントはいつも凄く楽しくて健康に良いのです。でも、知らない人が来たら多分何を言って、何をしているのかさっぱり解らないイベントだとも思います(笑)でも本当に物凄く楽しい。ある意味究極の内輪受けイベント。でも何度も言うけどとても暖かくて楽しい。それは、お客さんだけでなく、出演者も、関係者さんや、作っていらっしゃるスタッフもとりあえずSLAZYが好きなことがめちゃくちゃ解る素晴らしい空間だからなんだと思います。

 

最近ちょっと鬱々としていてSLAZYのfinを改めて見始めたのですが、自分が欲しかった言葉が不思議とするすると出て、自分の中に入って来る舞台で、見ながら泣いて、笑って、気づくと少し背中を押された気がしました。

 

沢山の愛情で作られた、誰よりも人を思いながら傷ついて、変わることを恐れて、怒って、それでも前へ進む現代の極上の優しいフェアリーテイル

やっぱりSLAZYは私にとって人生のバイブルでした。大好き!

 

どうかドラマでも悲しみを抱えた女性が、新たな386の皆様がようこそされますように。

【ネタバレ感想】メサイア外伝 -極夜 Polar night-

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メサイア外伝 -極夜 Polar night-」

公開おめでとうございます!!

 

実は一足先に暁乃刻のリピーター特典で拝見してきたのですが、メサイアはどこまでいっても容赦ないな…と改めて思った次第です。

 

メディアミックス化されたメサイアプロジェクトの影の主人公と言っても過言では無い三栖・周の物語。シリーズを長く支えてきた2人の極限の状況で紡がれる壮絶な最期で最初の物語。ほぼシリーズ全編を跨いで登場しているキャラクターのある種の決着の話なので、正直ここからメサイアが初見ではちょっと登場人物の把握が難しいかもしれません。

 

メサイアは原作・舞台・映像とそれぞれ共通の世界観でありながらも描く方により、三者三様の印象がありました。舞台の毛利さんと原作の高殿先生はとても容赦無く「えげつない」感じのお話を描かれる印象で、方向性としては良く似ているのですが、(毛利さんは中へ中へ抉ってくる様なえげつなさなのに対し、高殿先生は冷たく突き放した様なえげつなさがあるのです。)映像だけは上手く言えない異なる方向性を感じていたのですが、今回の映画は高殿先生寄りの「えげつない」作品であると同時に原作で散りばめられている高殿円先生のエッセンスを多分に感じた映画でもありました。

 

終焉から始まる新たな未来

 

前作の映画「深紅ノ章」で実の父親である堤貴也を殺害した結果精神的に大きなダメージを負った周と、彼を気遣った三栖が半ば隠居の状態で2人で暮らしている所から物語はスタートします。

新たに志倉から三栖に用意された職場”キンダー”で周を支えるために働き始める三栖。しかし、その矢先に自分の存在が枷になっていると感じた周は三栖の下を去り、三栖の過去を調べるうちに浮き彫りになる周家と三栖の過去との関係。そこに加え新東京史上最悪の爆弾テロに置いてそれぞれが辿り着いた「間宮レポート」の存在を通して、チャーチ・キンダーを巻き込み事態は大きく加速してく…

 

 

私が今回の作品の展開の上で一番恐れていたのは「深紅ノ章」を踏まえて革命の志半ばで周と三栖が一線を退いてしまうこと。そして、万が一彼らが一線を退いてしまった時に彼らの志を継ぐ者がいなくなってしまうのでは無いかということ。

 

こう言ってしまうと言い方は悪いかもしれませんが、革命の志を失ったら彼らの今までしてきたことは、戦ってきたことはなんだったのか。それら全てが無に返されてしまいかねないと思ったのです。

 

 サクラ側の人間で最もこの志に近いのは過去に手を貸した白崎護だと思っているのですが、護は卒業が決定している。そうすると周家の関係者と思われるグエンと会って何らかの働きかけが生じるのか??…などと公開前は考えて居ました。

 

しかし、彼らの選んだ道は安寧の道ではなく革命へと続くイバラの道であり、同時に「究極の平等」の礎として三栖は散っていきました。そして、革命の志はある種最高であり、最悪の形で最もそばにいて、最も三栖の志を理解していた存在である周に受け継がれて行くこととなるのです。

 

実際に三栖と周は共に安寧の道を志すこともあの時できたのかもしれません。正直そちらの方が良かったという人もいると思います。でも、私はこの展開で彼らの志が消えなかったことに哀しみと同時に喜びも感じてしまったのも事実です。

 

周は嶺二と三栖と言う大切な人2人を喪いました。それぞれ志を共にしようとした瞬間に。そして奇しくも「頑張れよ」という同様の最期の一言を残して。今の周を突き動かしているのは彼らの想い。それを実現する為には手段を選ばない強さを周は悲しみの中で手に入れたのだと思います。周家に戻ること、しかも反発していた父に頭を下げることは過去の周では絶対に考えられなかった行為だと思うのです。

 恐らく今後、新たなフィールドで2人の想いを背負って前へ進む周の話も絶対に展開されると確信しているので、その時は今は反目している義理の弟のグエンと並んで共闘する姿が見てみたいです。

 

 

…でも、私は三栖さん絶対生きてると思ってますから!!!

 

メサイアは海に投げ出されると春斗しかり、チェーカーしかり大抵生きてるんです!またひょっこり現れて周と並んでくれる日を信じてます(泣)

 

今作の別の意味でのキーパーソン 御池万夜について思う事

 

試写会に行った際に三栖・周のシーンで号泣して嗚咽が止まらない会場で、重ねて「ハッ」と息を飲む声が聞こえて別の嗚咽が聞こえ始めるシーンがありました。間宮と有賀の邂逅のシーンです。

以前の宵宮のイベントの際に、有賀役の井澤くんが
「何か…詳しくは言えないけど、ぶわあああって感じになります。」とか
万夜役の長江くんが
「有賀の過去に対して万夜が働きかけをします。」とか言っていたのが全て繋がった感じでした。

正直まさかそういう方向の働きかけを万夜がしてくると思っておらず、あの展開は意外ではありましたが、同時にあそこのシーンで有賀と間宮の関係性にもある種の決着が付いたと思っています。

 

有賀と間宮に関しては、私の個人の贔屓と傾倒もあり、今回の映画でだいぶ間宮の過去も埋まるので間宮と有賀にスポットを当て過去シリーズを踏まえたブログを書くつもりでいるので、割愛をしますが、このシーンは併せて”御池 万夜”というキャラクターに関しての今後の布石になって来るような気がしてならないのです。

 

万夜は”照る日の杜”という信仰宗教団体の御神体だったと言う過去があります。でも彼に降霊能力があることを示されたと言うことはお飾りの御神体ではなく、れっきとした御神体に相応しい能力者だったと言う訳です。

正直万夜の能力値はあのシーンでは未知数ですが、”照る日の杜”の信者が謎の死を遂げていたりする関係性も勘繰ってしまいたす。しかし、あの能力を持って御神体をしていたと言うことは恐らく万夜にとってとてつもなく苦しいことだったんだろうと、暁の本編中のスペクターと対峙した時の台詞も加味すると(多分あそこで生ける屍であるスペクターと会話できてたのかもしれませんが。)想像に難くありません。

 

間宮は虚構の団体の広告塔。

万夜は新興宗教御神体

 

共に虚像に近い組織の匣の中に囚われ、他者の掌の上で踊らされていた存在として、恐らく万夜と間宮は立場が似ていたのだとも思います。その結果生きるのが苦しくなってしまった点も。だからこそ間宮は”能力がある”ということ以外でも万夜に縋ったのではないか。だからこそ万夜は間宮に手を貸したのではないか。そして、そんな似た者2人はどんな会話をしていたのか…。万夜はあの傍若無人で世間知らずの幼くも歪んだ性格の陰にどれだけの哀しみと苦しみを秘めているのか。万夜の能力と感情の底知れなさが垣間見え、ここへ万夜を元信者の柚木とメサイアを組んだら関係が深まれば深まるほど苦しくなるのも目に見えてきて、今後の万夜に想いを馳せてしまいました。

 

 散りばめられる原作の高殿円先生のエッセンス

 

結構映画を見ながらニヤリとほくそ笑んだのが要所要所に散りばめられている、舞台であまり明らかにされていない高殿先生の原作の中で出てきた設定の数々でした。原作に加えて、リブート文庫が出た際に期間限定で拝読出来た黒子が主人公のSSの中で明らかになっていた(…と思う)結構マニアックな設定も随所に散りばめられていた印象です。

 

「ポケット」という単語や「カミンスキー」と言う人物名はメサイアの原作の中で繰り返し出てきますし、劇中ハングドマンに投与されていた薬の名前は科学捜査班のDr.ONEこと如月一の名前から来ているのだと思われます。(まだ、Dr.ONEに関しては多分舞台では触れられていませんよね?余談ですが、Dr.TENの名前が天津さんなのしかり科学捜査班の名前はみんな名前に数字か読みが近い名前が入ってるみたいなので、Dr.THREEは三上さんとかかもしれない…と思ってる次第。)

個人的に大変ポイントが高かったのが一嶋係長の立ち居振る舞いです。一嶋係長がスリの名手であると言う描写は原作ではあるのですが、それを映画のストーリーの上で展開させてくると思いませんでしたし、一嶋係長が電話で口汚なく自分のメサイアである神北係長代理を罵倒するシーンは、一嶋係長は余り育ちが良くないけれど、神北係長代理は彼が金持ちのボンボンが行く大学の医学生だった…と言う設定の踏襲が垣間見えて非常に興奮しました。今後もこういった原作とのクロスオーバーが見られるのも楽しみです。

 

終焉の先に広がる新たな謎

 

周が調べた三栖の過去の話は深く掘り下げられず、大分ふんわりしていたので、ここは今後の展開を広げる為の隙間なんだろうな…と思っています。この話を通して周兄弟が活躍することを期待してやみません。

 

また、劇中さらりと投下された悠里淮斗の弟である悠里春斗が生存して北に関係していると言う衝撃の真実。

正直春斗は生きていて恐らく北に噛んでいるだろうとはなんとなく予想していたのですが、護と淮斗の卒業に絡んでくると思っていたのでこのタイミング明かされるのは意外でした。今後春斗もまたチャーチを脅かす存在になってくるのか…

 

極夜の闇の先に広がる世界にまた私たちは翻弄されていくのでしょう。それがメサイアの醍醐味。登場人物達と共に哀しみと絶望を抱えながらまたメサイアの世界に浸っていきたいと思います。