有賀と加々美と5人のサクラ候補生の話

メサイア〜悠久乃刻〜』大千秋楽を観劇してきた。その時のカーテンコールの挨拶で有賀役の井澤くんが「僕たち5人で卒業だと思っています」と言ってくれたのが私は本当に本当にとんでもなく嬉しかった。とりあえずその一言を聞いて私は客席で1人めっちゃ泣いた。

 

 その5人とは有賀と加々美の2人。そして有賀と共にチャーチに入った3人。過去に卒業していった白崎・悠里。そして……サクラになれずに本編を退いた間宮。

 

 私はとりあえず何度も言っているように、”有賀涼”というキャラクターがとても好きだ。しかし、本音を言うと、深紅から暁まで有賀と加々美のコンビを見ているのは正直結構苦しかった。加々美は決して間宮の代替品ではないし、加々美と間宮は有賀にとってベクトルの違う存在であるとは登場時から最後まで一貫して思っている。加々美は有賀と良い関係を築いて良いメサイアになって欲しい。でも、同時に加々美と有賀の関係性が深まれば深まる程、間宮の存在が消えていってしまうようで。そして、有賀が間宮を手にかけたからこそ成長したのは解るのだけれど「最初からその接し方が出来ていれば間宮は死なずに済んだかもしれない」という絶対にあり得ない”もし”を考えてしまって。

 

 有賀と加々美は良きメサイアであって欲しい。けれど、心のどこかで全ては受け入れ切れない自分がいて。最初『悠久乃刻』が”有賀と加々美の卒業ミッション”と聞いた時100%手放しで受け止め切れない自分が本当に嫌だった。でも、間宮という決して戻って来ない存在が、二度と有賀のメサイアとして存在することはない。頭では分かっていても心が追いつかない矛盾。それだけ”間宮星廉”というキャラクターの死に様は強烈で鮮烈で私の心に深い深い爪痕を遺していたのだ。

 

 加々美は蔑ろにして欲しくない。でも、間宮を置いて行って先に行って欲しくもない。ではどうしたら良い。有賀とどちらかずつでは受け入れ切れないなら、どうしたら3人揃って自分は受け入れられるのか。

 

 

 その答えは『悠久乃刻』が始まるまで私の中で見つけられなかった。

 

どうやら同じようなことを思っていたのは私だけではなかったらしい。

 この”西森先生の挨拶”と言うのが。

「間宮の扱いをどうするか迷った」

と言うものだった。

「正直そめちゃんを映像で出したり、来てもらったり……色々なことは考えた。でもあれだけ全力で死んだ人間を笑顔で呼び戻すことは出来ない。だから今回の『悠久乃刻』では有賀と加々美の背に間宮を見てもらおうと決断を下して、敢えて出すことをしなかった。これは自分の口から言わないといけないと思った」

 色々差異はあるとは思うが、大筋こういった内容だった。この演出の西森さんの挨拶を聞いて私はまた客席でべそべそ泣いた。

 

 そんなこんなで大阪からトンボ帰りしてきて今朝フォロワーさんのこんなツイートを拝見した。

 『悠久乃刻』という物語が。大阪での挨拶が。もっと自分の中で腑に落ちた。そしてまた懲りずに朝から涙した。

 

『悠久乃刻』は有賀と加々美の卒業の話ではあるが、同時に間宮のかつての想いや存在を色濃く匂わせる巧みな作りをしていた。 前のブログでも書いたが、それぞれがそれぞれ存在しないと互いに生き得なかったという3人で一つのメサイアの形だと見ていて私は思った。私が求めていた「3人揃って受け入れる」答えが綺麗に示されていた。

 

しかし、劇中敵の手に堕ち、チャーチにいた頃の記憶を喪ってしまった有賀を取り戻す為に協力したのは、かつての同期である白崎と悠里。そして、有賀を呼び戻す為に間宮の力を借りる。"サクラ候補生の有賀涼”を取り戻すためにいつきの肩にかつての候補生の想いが乗っかるのだ。彼等は3人だけではなかった。間違いなく5人いた。過去にかつての候補生の彼らがいて、彼らが力を貸してくれたからこそ加々美は有賀を取り戻し2人は卒業できた。

 

続けてフォロワーさんはこうも述べている。

 

 「『鋼ノ章』が今のメサイアシリーズの流れを作った」と西森さんが述べていたのはこの”なんとなくでも存在していた固定概念”を壊した部分が大きいと思うし、次の『暁乃刻』の悠里はその部分をより深めている印象がある。そして、この固定概念が壊されたからこそこの下の代の存在の幅や話の幅が膨らんだのではないかな……とも私は偉そうにも感じている。

 

  このフォロワーさんの呟きを見て「『悠久乃刻』は有賀と加々美だけではなく、有賀と加々美がいた代5人の卒業の話なんだな」と冒頭で書いた井澤くんの挨拶を反芻しながら改めて思った。

 

 先代の卒業ミッション『翡翠ノ章』で後輩として協力していた当時の有賀含め同期4人の半分はいなくなってしまった。でも、彼等の想いは。彼等の存在は。共にずっと生きている。白崎はどこかで人工知能・ネクロマンサーと同化した悠里と共にあるだろうし。加々美と有賀もどこかでサクラとして活躍しているし、彼等の背中に間宮もきっといる。

 

 悠久が終わった今なら素直に言える。

加々美が有賀のメサイアでいてくれてありがとう。有賀は加々美と間宮のメサイアでいてくれてありがとう。

 

白崎・悠里・有賀・加々美・間宮

……彼等5人は共に同じ道は進めなくとも、想いはきっと共にあるのだと思う。沢山の景色を見せてくれた、最初に出会ったサクラ候補生が彼等で本当に良かった。そして最初に出会ったサクラ候補生の卒業を最後まで見届ける事が出来て本当に良かった。

 

 改めて本当に5人卒業おめでとうございます。

 

 

悠久乃刻の中でまたいつか……

 

 

【ネタバレ観劇感想】メサイア〜悠久乃刻〜

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メサイア〜悠久乃刻〜』大千秋楽目前おめでとうございます!

メサイアシリーズと出会って初めて生で観劇したのが『翡翠ノ章』で鋭利や珀達の後輩として登場していた面々。それこそチャーチに来た最初の頃からシリーズを通して追いかけてきた世代が全員卒業していきました。特に私を観劇の世界に引きずり込み、人生を半ば狂わせていったと言っても過言ではない井澤勇貴くん演じる有賀涼の卒業とあって感慨もひとしおです。

観た後はその幕引きに凄い高揚感がある訳でも、絶望感に打ちひしがれる訳でもなく。「嗚呼。終わってしまったんだな。」という静かな凪の様な心持ちになりました。

有賀と加々美の卒業ミッション。以下いつもと同じように盛大なネタバレをしながら感想を述べていきます。同時に、以前の暁乃刻の感想ブログでも述べましたが、ここのメサイアは有賀・加々美・間宮そして今回はハングドマンも加わり、それぞれ感情移入する登場人物の立場によって恐らく持つ感想や感じることが違うと思うのです。前もって言っておきますが、このブログの主は有賀好きで有賀・間宮寄りの見方をしているので、正直「考えが合わない」と感じる部分もあるかもしれません。以上を了解でした上で一つの悠久の解釈と捉えて読んで貰えると幸いです。


有賀と3人の半身

私は今回の物語は「有賀と加々美が間宮の願いの下に結ばれ卒業していく、3人でメサイアの物語」だと思っています。

今回の『悠久乃刻』では「平和な世界を作りたい。」という有賀の一貫した明確な願いが描かれ、それを1つの軸にして話が進む印象があります。それはかつての有賀のメサイアである間宮が望んだ世界であり、『鋼ノ章』のラストで有賀が間宮に対して立てた誓いでもある。そしてその世界を共に実現して欲しいと願うのが今のメサイアの加々美であり、「何も自分からやりたいと思ったことがない。」と言う加々美が初めて自分の意思で「有賀と共に歩んで平和な世界を作ると言う願いを叶えたい。」と自発的に動くのです。

 

加々美の設定がイメージしていたよりも間宮に関して嫉妬していたのが意外ではありました。加々美は間宮の代わりになれるように努力していた。それが加々美の健気な所であり、涙ぐましい所ではあるのですが、加々美は決して間宮の代わりににはなれなかった。間宮のいた所に加々美が存在することは出来ない。それを加々美自身が理解して受け入れ、有賀の中の間宮の存在を肯定して、加々美が有賀と共にやるべきことと歩むべき意味を己で見出した時に加々美は初めて有賀の本当の意味でのメサイアになれたのだと思います。そして同時に間宮が存在していたからこそ有賀と加々美はメサイアになれたとも思うのです。

 

それを象徴すると感じるシーンが悠久の劇中で2つ。

 

一つは加々美と記憶を喪った有賀の戦闘シーンからの(ちなみに、ここも鋼の間宮と有賀の戦闘シーンを一部重ねてあって胸が熱くなりましたね。)加々美がヴァイオリンを奏でようとするシーン。先の”有賀の中の間宮の存在を肯定して、加々美が有賀と共にやるべきことと歩むべき意味を己で見出した”決定打のシーンでもあると思います。「あの人に頼るのは癪だけど。」と言いながらG線上のアリアを弾こうとする加々美。頼るのは癪でも、その手前で加々美が間宮の名前を出した時に記憶を喪った有賀は1番反応をしますし、(見間違いでなければ小さく”まみや”って口が動く気がするんですよね…気のせいだったらマジですいません。関係ありませんが、ここの第三の闇モード有賀から通常モードの有賀に戻る演技が今回の個人的スマッシュヒットポイントです。)結果として間宮の存在の力を借りないと有賀を正気に戻すことは出来なかった。

 

そして、もう一つは時系列が少し前後しますが、加々美とチェーカーが戦うシーンです。今までチェーカーの言いなりで生きてきた加々美。そして、チェーカーを離れても尚、操られるように生きてきた加々美。その加々美が自分の意思で「有賀の願いに協力する為に生きる。」と決めてチェーカーを撃ちます。撃たれたチェーカーの手には拳銃が握られており、あの時少しでもこの決意に躊躇があれば加々美はチェーカーに撃たれて殺されていたことはゆうに想像出来ます。

 

それは、今回の悠久の前の作品である『暁乃刻』でネクロマンサーに乗っ取られた加々美を有賀が撃つことが出来ないシーンも同様です。『暁乃刻』のブログでも述べましたが、ここで過去に間宮を殺していなければ、有賀は容赦なく加々美に引き金を引けていたと思うのです。


何度も言いますが、有賀の願いとは即ち間宮との誓い。有賀と加々美は間宮の存在と願いの下に生かされている。彼らがそれぞれ存在した結果強い絆で結ばれた今までとは少し趣の違うメサイアの一つの形だと思っています。

 

そして、同時に大きく関わってくるのがかつての親友ハングドマンこと神門シンの存在。シンはかつて第三の闇時代の親友であり、「世界の全てを壊す」と有賀と約束した存在。しかし、そんな最中に間宮の奏でるヴァイオリンに出会い有賀は親友を残して単独で第三の闇を壊滅させてしまう。最終的に「自分の魂は曲げられない、お前のやり方でいい…世界を正してくれ」と言う言葉を遺し、有賀の手にかかろうとするシン。かつての親友を撃てない有賀をチャーチ鉄の掟の詠唱と共に加々美と手にかける。シンが破壊の象徴であるとするならば、加々美は再生の象徴である気もします。間宮も有賀にとっては再生の象徴だと思うのですが、最終的に世界を破壊しようとした…と言う点、そして平和に殉じたと言う点では間宮とシンは似ているのかもしれません。


今回の作品に登場する有賀にとって半身とも言える存在三人は、有賀にとってかけがえの無い大切な人間であり、魂の一部でありながら、それぞれ有賀にとっての存在の在り方が違います。私の個人的な印象としては

怒りを分かち合った魂の同胞シン。
希望と願いを灯した魂の伴侶間宮。
目的と未来の為に共に進む魂の相棒加々美。

という印象です。その違いを見せながら有賀という人間の在り方と生き方を悠久では垣間見た気がします。

 

孤独な殺人機械かと思いきや結構有賀人誑しで罪深い存在だったんだな…とも思ったのは内緒の話です。QCの時シンは間宮をどんな気持ちで見ていたんでしょうね…。それとも有賀と約束した世界の破壊の為に有賀の心を奪っていった相手を使ったのでしょうか…。その真意は…解りません。

 

 

もしかしたらあったかもしれないifの未来

これは妹に指摘されて気づいたのですが、少し前にあったエキシビジョンというメサイアの展示イベント。展示は今回の悠久のブロマイド等で使われている前撮り写真が大半だったんですけど、その中で使われていない写真がありました。それがこれ。

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撮影禁止の額装展示だったのですが購入して手元にきているので大丈夫だと思って上げます。(ダメだと思ったらご指摘ください)この加々美の写真。これ多分第三の闇の衣装ですよね。そこから導き出した妹の仮定が「ハングドマンがシンではなく、加々美がシンで、有賀に殺されるルートもあったのではないか。」というものです。姉ちゃん目から100枚位鱗が落ちました(笑)確かにこれも妹が言ってて激しく同意したんですけど、卒業衣装のブロマイド後撮りな感じだし、シンの最後の台詞と共に己の半身2人を手にかけてその2人の魂と誓いだけをメサイアに独りだけで戦い続ける有賀って想像に難くないんですよ…。

 

正直、第2世代の他のキャラは脆さや依存的な側面を見せるキャラが多いのですが、有賀だけはその中でも少々異質な気がします。彼はきっとどんな過去や運命にも決して揺るがず1人でも立ち向かう。それは「俺が覚えている。」という有賀の台詞に集約されている気がします。記憶を喪うかもしれない加々美のことだけではなく、過去に己が手にかけた半身…間宮とシンのことも全て自分が覚えている…と言う意味だと思うのです。即ちそれは彼らの思いを背負って前に進むということ。きっと有賀はたった1人でも荊の道を歩んでいったでしょう。かつての半身シンの思いを背負い、間宮の願いと共に。そして有賀はきっとそれができる。しかし、シンと加々美がイコールの存在で2人を手にかけるのではなく、隣で一緒に思いと重荷を背負って同じ目的へ歩んでくれるメサイアという存在であって、共に卒業して良かったな…と今は思うばかりです。

 

新たな第3世代の幕開け

第1世代のサクラ候補生はメサイアの存在以外にもそれぞれ生きる理由があり、それぞれがそれぞれ確固とした”個”を持ち自立しているイメージです。(珀だけがその観点からするとちょっと依存的かとしれませんが…)


それに対して第2世代は依存的な側面を持つキャラが多く、メサイアの形も歪。何かそれぞれ目的がある…というより、相手の為に生きて存在することが理由であり目的である登場人物が多かった気がします。元々登場時から共依存気味だった白崎と悠里はメサイアシステムを突き詰めた先の究極のメサイアの形を。有賀・加々美・間宮は誰よりも大切なメサイアを喪ったあと、喪った相手と新たなメサイアはどのような関係性を形成していくのか。そして、先にも書きましたが、それぞれがそれぞれのメサイアとして存在しなければサクラとして生き得なかったいわば”3人でメサイア”という形を。第2世代のメサイアメサイアシステムを突き詰めたその先を見せてきたイメージです。白崎も有賀もそれぞれ卒業する時は一人でチャーチを去ります。それぞれのメサイアの形と共にチャーチの去り方が第2世代を象徴するようだな…と思っています。

 

そして、この後に控える第3世代。まだあくまで空気感を匂わせているだけですが、最初からメサイアとしての明確な「理由づけ」がある分第2世代とは別の意味で荊道になるような気がしてなりません…!

 

まず、柚木と御池の”照る日の杜”コンビ。柚木は元信者。御池は元御神体。そして御池は柚木を知っているけど、柚木は御池が御神体であることを知らずに、「もし願いが叶うなら御神体を生き返らせて殺してやりたい。」と言う憎しみを顕わにします。対する御池は厭世的で己の死に場所を探す為に生きている危うさがあります。そして今回「殺されるなら君に殺されたい!!!」と柚木に縋り付く御池(ちなみにここの長江くんの演技最高でした…)

…もうこの時点で色んな意味で地獄かよ!!!

と言いたくなってしまう(笑)劇場特典小説や極夜の中で、御池は本物の霊的な能力があることが示されてますし、”照る日の杜”時代にも御池に対して特別な感情を抱いている糸織という存在のキャラクターも出てきてましたし。(今後舞台に出てきそうですね。)ましてや柚木が真実を知ってしまったらどうなるの!?って所もありますし。もう今から地獄感ハンパなくてゾクゾクするコンビです。

対して小暮と今回から出てきた雛森のコンビ。暁の時の一嶋係長に対する反応から多分一嶋係長の身内の方なんだろうなあ…と予測はしていたのですが、身内ですらない…彼は恐らく一嶋係長に己との関係を問うて耳打ちされてから先の反応を見るに、小暮は一嶋係長のクローンであることが推察されます。(劇中サクラ候補生に対しては一嶋係長は小暮にしか攻撃してないんですよね。ちなみに「僕がいなくても代わりはいくらでもいますから。」って言う台詞に対して『綾○…』って思ったのはこれも内緒です。)対して雛森は過去に一嶋係長に陥れられ生死の境を彷徨う重傷を負って5年間眠っていた…と言います。「サクラ候補生に戻ったのは一嶋係長を殺す為」と明言している。一嶋係長はわざわざ憎悪を己に向けるようなメサイアを組ませてどうするつもりなのか。彼の真意が気になる所ではあります。同時に「小暮はアイデンティティ障害」と演出の西森さんが言っていた意味を初めて理解しました。小暮が一嶋係長のクローンであれば己のアイデンティティがどこにあるのか見失ってもおかしくない。飄々としている雛森の真意や一嶋係長との過去も底知れません。憎むべき相手のクローンと組んだ雛森と己のアイデンティティに疑問を持つ小暮がどういう化学反応を起こしてくるのか。

そして、とうとうサリュートとスークという北方のコンビも新たなコンビに加わりました。立場が変われば敵と味方が逆転する。それぞれの立場のそれぞれの思いで動いている。そこにスポットを当てるのも非常にメサイアらしいと思います。スークとサリュートは身分に差がある様だし、サリュートはサクラ候補生に負けず劣らず仄暗い過去と目的を持っている様子。スークはそれに対して北方のお偉方の子息でスパイをしているのはスリルを味わいたい暇つぶし程度にしか思ってなさそうで、確実にこの先鼻っぱしをへし折られて絶望しそうなフラグがぷんぷんします。黒幕のボスフォートの校長も絡んで(この校長過去のチャーチ関係者だと思ってしまうのは私だけでしょうか…)どうこの2人の関係が紡がれていくのかも見ものですし、恐らくシリーズ存続したら今後あるであろう北方コンビ編も早く見てみたい気がします。

 



メサイアという作品の根底にあるのは
「人が死ぬってことは大変なことなんだ」と加々美が泣きながら有賀に放った一言に尽きると思います。メサイアを見ているとメサイアの世界に現実世界が近づいている様に錯覚する時すらあります。ハードな展開と華麗なアクションの根底に描かれている、フィクションでファンタジーと見せかけた底知れぬリアリティの世界。

冒頭にも書きましたが、自分がメサイアに触れたのは第2世代の面々が出始めた頃でした。有賀と間宮がいなければ多分メサイアにハマっていないし、観劇にもこんなにハマっていなかったと思います。白崎と悠里、勿論加々美もめちゃくちゃ好きで、メサイアの第2世代をきっかけに若手俳優どんどん覚えていった節があるので、本当に思い入れが半端なく彼らが何らかの形でいなくなったり卒業していったりして全員いなくなるのがまさに「こんな日が来るとは思わなかった」状態なのですが、代が変わっても相変わらず新しいキャラクターメイキングも上手いし、世代交代の仕方も上手いしで、まだまだメサイアの沼から出られそうにありません。

今後次の世代がどんな物語を紡いでいくのか、まだまだチャーチとサクラ候補生の行く末を見守っていこうと思います。

 

【観劇感想】『四月は君の嘘』

 

四月は君の嘘」観劇してきました。

アニメや原作は物凄く評判が良くて、興味はずっとあったのですが、まさか最初に拝見するのが舞台になるとは思いませんでした。

(私こういうのばかりですね…)

 

「漫画読んだことあるから知ってるよ!」という方も多いと思いますが、まずは公式サイトからのあらすじを失礼します。


『ヒューマンメトロノームとも揶揄された正確無比なピアノ演奏』
『幼少から数多くのコンクール優勝』
そんな過去を持つ天才ピアニスト有馬公生は
母親の死をきっかけにピアノの音が聞こえなくなり
演奏から遠ざかっていた。
公生を心配する幼馴染みの澤部椿や渡亮太と学生生活を送り
新学期になった四月———
公生は同じ年のヴァイオリニスト宮園かをりと出会う。
かをりとの日々はモノクロの心をカラフルに色付け公生の世界を変えてゆく。
ある日、かをりはヴァイオリンコンクールのピアノ伴奏に公生を指名。
再び鍵盤に触れたことで公生の中に新たな感情が芽生える。
友人、ライバル、恩師と過ごす春夏秋冬は
美しくも切ない嘘の物語を紡ぎ出す。

「もうすぐ春が来る、君と出会った春が来る。

 

 

観劇を決めた理由は私の二大好きな舞台の一つである『Club SLAZY』の演出と脚本をされている三浦香さんと伊勢直弘さんのタッグの作品だったから。そして、演奏シーンは生演奏!というのにつられて観劇を決めた訳です。

 

今回は三浦さんが脚本・伊勢さんが演出というSLAZYとは逆の組み合わせでしたが、三浦さんの叙情的な脚本の雰囲気が『四月は君の嘘』の世界観にとてもマッチしており、内容も恐らく端折ってはいるのだと思いますが、演奏シーンや話の見せ場を盛り込んだ中話を知らなくてもストーリーを消化出来たので、かなり丁寧に2時間で纏まっている印象でした。舞台装置もピアノを模した階段や五線譜を模したカーテンと工夫が凝らされていて、とにかく舞台も音楽も内容も綺麗な舞台だったな…という印象です。

 

出演俳優さんの強さ

 

安西慎太郎さんと和田雅成さん。

このスター級の2人がこの舞台を牽引したと行っても過言ではないと思います。

 

まず今回の1番の感想は

安西慎太郎推せてしまうやないかーい!!!

です(笑)

安西さん。何度か舞台で拝見したことがあるんですけど、毎回拝見する度に様々な魅力を発見して

「….推せる…!」

となるんですが、今回も多分に漏れず

「…推せる…!!」

となるのでした。

 

とにかく声が良い。あと、ちょっと繊細な内面を表出させる演技が凄く上手い。今回の公生や、私が以前見た『男水!』の礼央はタイプは違えど腹にいちもつ抱えてるタイプの役なんですけど、その内面が見えてくる演技が本当に上手いんですよ。凄く心を揺さぶられて目が離せなくなるというか…。演技で「目が離せない」というような人の惹きつけ方をする俳優さんってなかなかいないと思うので、機会があれば安西くんも色んなタイプの役を拝見してみたいです。

あと今回の公生はメガネが似合ってて最高オブ最高でした。(個人趣味ですが…)

 

和田くんは本当に華がある俳優さん。顔の格好良さとかではないのですが、舞台に立ってるだけで目を惹く。佇まいだけで華やかなオーラがある。和田くんはどちらかというとカメレオンタイプの俳優というより、自分と役を擦り合わせて落とし込むタイプの俳優さんなんだろうなあ…と思っているのですが、どの役も”和田雅成としての演技”を魅せてきて凄いなあ…と思います。

 

そして脇を固める大人役の人々の演技力の強さよ…!みかしゅんさんや小玉さん、そして田中さんは本当素晴らしかったです。大人役が大人だと(わかりづらい表現ですが)安心して世界に入れます。

 

松永さんや河内さんの女の子役の方々もとても可愛くて魅力的だったんですが、2人とも感情が高ぶる演技の声がキャンキャン聞こえてしまったのがちょっと残念だったなあ…

 

生演奏という強さ

 

これ。これですよ。この舞台の魅力をさらに引き上げたのは生演奏であり、プレイヤーさんは今回の影の主役だと思っています。

ピアニストとヴァイオリニストはそれぞれ芸大卒の一流プレイヤー。特にピアニストの方は劇中に出てくる登場人物ごとに弾き方のタッチを変えたり、公生が精神的に追い込まれてピアノが弾けなくなる様を表現したりととにかく凄い。コンクールを1人3役別のタッチで演奏したのと、かをり不在のガラコンサートのピアノの表現は当に圧巻。しかも映画やアニメと違い毎回生演奏なので、演技ばりの生きた演奏が聴けてしまう贅沢さに賞賛しかありません。

 

今回のピアニストを務めている松村さんは尺八奏者もされているらしく、折込のチラシに尺八奏者としてのコンサートのチラシが入っていたのはまた別の意味で印象深かったです。

 

最後に個人的な意見なのですが、

さよならソルシエ」もそうなのですが、いわゆる”フラワーコミックス”系の少女漫画の舞台化って作品のネームバリューがないわけではないと思うのですが、ターゲットの層が難しい印象があるんですよね…

実際いずれも集客には苦戦している印象があります。

 

凄い好きな読み手の層は舞台よりアニメや映画に行ってしまうんだろうし、原作付き舞台が好きな層が見るにはもう少し少年誌的なハラハラドキドキを求めている気がするので少し観ていると物足りないと思ってしまうかもしれない。

 

ただ、「さよならソルシエ」も今回の「四月は君の嘘」繊細に丁寧に作りこまれて心にじんわりと染み渡るような叙情的な舞台です。普段舞台を観る方も、逆に余り観ない方も、観ることによって別の感覚が生まれる…そんな作品だと思います。

 

大きいハコでなくて構わないので、こういった丁寧で叙情的な作品の舞台化は今後も様々な作品で観てみたいな…と思うのでした。f:id:bonbonnikunikuoniku:20170830233601j:image

【ネタバレ観劇感想】ピースピット2017年本公演『グランギニョル』

 

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グランギニョル

吸血鬼社会を舞台に描かれる人気の根強い舞台『TRUMP』シリーズの最新作。観劇して参りました。シリーズはたまたま直近で評判を聞きつけてシリーズの冠が付くものは全て拝見していたのですが、”ゴシックサスペンス”と呼ばれるに相応しい唯一無二の世界観は今まで、いやそれ以上に洗練されて存在していました。

 

TRUMPシリーズは現在

『TRUMP』『LILIUM』『SPECTER』

 

Dステ12th『TRUMP』Blu-ray
 

 

 

 

 

 



 

の3作品がシリーズとして過去に上演されています。どの話も独立した話としても成り立っていますし、比較的末満さんの脚本は世界観や設定の説明を劇中に丁寧に入れてくれるのでどこから観ても楽しめると思いますが、全て観て他の作品との繋がりに気づくとより深淵たる絶望に打ちひしがれる巧みな作りになっています。

 

以下公式HPより今作のあらすじを一部抜粋させて頂きました。

名門家系の貴族であり、吸血種たちの最高統治機関《血盟議会》で将来を嘱望された若手議員ダリが、ゲルハルトというライバルと反目しあいながら《ある事件》を追うサスペンス劇です。吸血種たちの、絢爛豪華な社交界の裏で蠢く陰謀に近づきながら、ダリは自分の過酷な運命と向き合うこととなります。

今作の主人公ダリ・デリコとライバルのゲルハルト・フラは『TRUMP』に登場する繭期のヴァンプのウル・デリコとラファエロ・デリコ、そしてアンジェリコ・フラの父親に当たります。彼らの若かりし頃の話が紐解かれた時に新たな答えと闇が広がっていきます。

ここから先は毎度の如く過去シリーズも踏まえて盛大なネタバレを含む感想を展開するので読む方はご容赦ください。

 

絶望へ向かう希望と言う名の布石

 

グランギニョル』も過去作品と同様に作品単品でも完結しています。この作品だけを見ると絶望の中にも未来へ微かな希望が灯る様に見えます。”永遠の繭期”に閉じ込められていたキキは仲間の手によりその中から抜け出し、未来には誰かと結ばれ子孫を残すことを暗示されますし、スーの遺した子供ウルに実の父親(実際はちょっと違いますが。)のいわば呪いのようなイニシアチブを打ち消すかの様に「強く生きろ」とイニシアチブの元に命じるダリのラストシーンも未来への希望を暗示するシーンに取れると思います。

しかし、これら先の希望に繋がりそうな描写は見事に他のシリーズの話で全て絡め取られ絶望へと色を変えていくのです。シリーズ通して作品を知っている人にとってはここで希望を見せられてしまう事が事の顛末を知っている分逆に果てしなく辛い。

 

グランギニョル』を見て一番最初に頭を過ぎったのは『TRUMP』に登場するダリとゲルハルトの息子ラファエロ、アンジェリコ、そしてウルのことでした。

 

作中で明らかになるダリの息子ウルの出生の秘密。彼は腹違いの息子でもなんでもなく、いわば赤の他人。しかも短命で人間からも吸血鬼からも忌み嫌われるダンピールという存在。その上ダリ家は血統を重んじる吸血鬼社会に置いて、最上級の家系。ダンピールを家におくなど言語道断だったのではなかろうかと思うのです。

しかし、ダリを助けた女性スーとの約束、そして愛する妻フリーダの最期の願いというだけではなく、ダリ自身もラファエロ同様ウルも実の息子としてちゃんと愛していた。だからこそ『TRUMP』ではあの実の父親の呪いのことを知るが故にソフィに冷たく当たり、ソフィとウルを引き離そうとしたのだろうと言うことが垣間見えてきます。(実際ウルにかけられたイニシアチブは、実の父親とダリとはどちらの意思が強く優っていたのかは…『TRUMP』を観た人の判断…ということなのでしょうね。)ダリは誰よりも気高くそして、誰よりも家族を愛していた。それが垣間見えてしまうからこそ…苦しい。

 

そして、ゲルハルトは家を家族を守ることに執心すると同時に、永遠の命を望み、”TRUMP”を信仰していた1人でもありました。棄教したとは言え、その望みが全て易々と消えるはずが無いと私は思うのです。そして実の母親から忌み嫌われ、結果彼女を自殺に追い込んだ引き金とは言え、たった1人だけ残った大切な息子を…家を守ると言う意味でも、守るべき対象の息子自身と言う意味でも…自らもその存在に焦がれ、その存在に何よりもなりたかった”TRUMP”に殺されてしまった。なんという皮肉な運命。

 

彼らの守ろうとしていた大切なものは全て”TRUMP”の手によって消し去られてしまうのです。だからこそ『グランギニョル』と『TRUMP』を繋げて考えるとそれらが如実に解ってしまう分『グランギニョル』を見た後に黒い染みが広がる様な荒涼とした気持ちになるし、尚一層あの『TRUMP』の顛末が絶望感を帯びてくるのです。『TRUMP』のダリとゲルハルトはどのような気持ちであったのだろうか。そしてその先大切なものを全て”TRUMP”に奪い取られてどのようにして生きていくのだろうか…彼らの行く末が残酷ながら気になってしまいます。

 

余談ですが、キキの未来の遠い先の子孫は『LILIUM』に出てくるマリーゴールドであるだろうことも想像出来ます。しかしマリーゴールドも…グランギニョルで灯される希望は全て摘み取られていきます。

そういう意味でもある種真の意味で残酷劇かもしれません。

 

貴族が貴族たる俳優陣の強さ

 

ここから先は作品の感想ではなく、俳優さんの感想になるのですが、末満さんに主演2人は「この世代で一番貴族が似合う2人を選んだ。」というお墨付きがあるだけあってどこをどう切り取っても貴族!豪奢な衣装に負けないだけの美貌と雰囲気を持っています。

正直グランギニョルは出演者も豪華ですが、何より主演の二人を見るだけでもチケット分の価値はあります。絶対。気持ちはルーベンスの絵を垣間見るネロとパトラッシュの気分です(笑)

 

三浦さんの女性と見まごう美しき美貌と品のある立ち振る舞い。男性なのにあのコルセットガッツリな衣装を着こなしてしまうとは何事!?

そして両手で星を掴もうとする動作はもう画としても美し過ぎて本当に宗教画の様で…

また、気位の高い感じや時折見せるダリに向ける妖艶な空気。美しさと妖しさを見に纏ったどこからどう切り取っても”ゲルハルト・フラ”!!歌もお上手なので個人的には劇中歌を歌って欲しかった…

ゲルハルト割と気位は高くても中身は脆そうな印象なんですけど、あんなゲルハルトからどうやったらアンジェリコみたいな息子が育つのか割と不思議でした。いや、家系を重んじると言う点では納得なのかもしれません。

 

そして染谷さんのダリ・デリコ。

実は私染谷さん結構応援しておりまして、過去にこんなブログを書いたことがあります。

推しの話をしてみよう - 世界の中心で好きを好きだと叫びたい

この染谷さんの項に書いた”こんな役やって欲しいな〜”が

全てダリ・デリコではないですか〜〜!!!

と一人で後から読み返して勝手に打ち震えました。派手な殺陣と綺麗な太刀筋、

翳りがあって、ちょっと狂気を孕んだシーンもありつつとにかく強い。いろんな意味で強い。豪奢な衣装をヒラヒラと翻してと見下した瞳で見下した台詞を言い放つダリを見て「私!こういう染谷さんめっちゃ待ってた!!」とちょっとだけ話そっちのけで興奮したのは言うまでもありません…

多分刀剣乱舞がきっかけのご縁なのかなあ…と勝手に思っているのですが、好きな俳優さんが好きな舞台手掛けてる演出家さんに見初められて素敵な舞台でお仕事戴けるのってファンとしてもめちゃくちゃ嬉しいのでめっちゃ個人的なんですけど本当にありがとうございますな気持ちでいっぱいです(笑)

 

 

作品としても演者のレベルと言う点でも、そしてブログ中では言及しませんでしたが劇中音楽も素晴らしい『グランギニョル

シリーズの深淵たる闇はこれからも広がっていくのかと思うと身悶えします。私もまだまだTRUMPシリーズ初心者ですが、是非この作品で興味を持った方は他の作品を観ることをお勧めします。きっと想像を超える絶望が貴方の前に広がるはずです。

One on One 29th公演「レプリカ」

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別れさせ屋の男と、恋愛コンサルタントの女。2人が出会ったのは偶然?必然?2人の関係はレプリカの恋?それとも…

 

法月康平くんが出演されると言うことで興味を持ってチケットを取ったんですが

 

一言で言うと

すっげえキュンキュンしました…!

明るくてポップで親しみ易い曲に乗せて展開される男女の恋の物語。月9や少女漫画に迷い込んだ様な甘酸っぱいラブストーリーの中に、ちょっとしたファンタジーとリアリティとどんでん返しのスパイスが盛り込まれていて、ラストの幸せ溢れるハッピーエンドは「ひゃ〜!こんなん見せつけられちゃって良いの〜〜!!」と見ていてニヤニヤが止まらず…本当にとっても楽しかったです!

 

同時に100席程度の小さな劇場に出演者は生演奏の伴奏を含めて4人だけ。しかも話の中でほぼほぼ歌が途切れない。勝手な印象なんですが、大きな舞台は広い範囲かつ遠くまで届ける難しさがあると思うんですけど、小さな劇場は観ている人が近い分誤魔化しが効かず実力が如実に出てしまう難しさがあると思うんです。聴き応えのある歌唱力と細かい感情の機微を感じる演技…出演者の方々の実力に感服したミュージカルでした…!

 

以下今回は出演者の方々の感想を述べさせてください。

 

吉沢愛音(よしざわまなと)/法月康平さん

法月くんの上へ遠くへ通る歌声やバランスの良い立ち姿のシルエット(またエライ手のシルエットも綺麗なんだ…)そして舞台の中を登場人物として生きている様に錯覚してしまう演技が本当に好きで。今回はハコが小さい分その全ての良さを存分に堪能させて戴きました…!寧ろ「こんな供給過多で良いのか!?」って位(笑)

恋愛も人間関係も面倒臭くて興味ない。恋の話は仕事の時に聞かされる別れ話だけで充分…という斜に構えた感じの別れさせ屋。ちょっと不敵でニヒルな感じの演技や、彼女の為に一生懸命になったり段々余裕が無くなってく姿、そして等身大な感じの”恋愛をしている青年”の姿…舞台中に今回も「吉沢愛音」としてしか見えなくなる法月くんの演技は一粒で百度くらい美味しかったです。見た後に「法月康平は…良いぞ…」って条件反射の様に妹にLINEを送っていました(笑)

 

角田弥生(かどたやよい)/大胡愛恵さん

華奢で顔が小さくてちょっと小柄で…とっても綺麗で可愛かったです!売れっ子の恋愛コンサルタントでしっかりしたデキる女!…と見せかけて実は意外ににそうでもなく口が悪くて勝気で強気と見せかけてその実シャイで臆病。ついでに大食い。恐らく大胡さんの弥生とは自分と近しい年代の設定を感じ(多分Bの弥生では別の印象を受けると思う。)何と無く自分と重なる部分もあり「解る…解るぞ…!」と結構感情移入をしながら見てしまいました。全員が全員同じ様な意識の女性ばかりだとは思いませんが、自分からしてみると結構等身大な印象を受けてリアルだなあ…と思ったり。

弥生のバックボーンの話は女性からすると結構リアルに考える話だと思います。ファンタジー的な要素や明るさだけでなく、このリアルさが「レプリカ」というミュージカルに奥行きを与えている印象です。

歌はまたとにかくお上手でした!歌い方の感じがとても好きで…また法月くんの声と混ざると溶け合って2が5にも10にもなって抜群の厚みになるんですよ…!!また法月くんと並ぶと美男美女の理想のカップルと素敵なシルエットで堪らん!!

他の出演作を観たりもっと歌を聴いてみたい!と思う素敵な女優さんでした。

 

クピド/千田阿紗子さん

クピドの絵画のレプリカに潜む、レプリカのキューピッド。愛音の下に突然姿を現す。弥生のこともどうやら知っている様子…。パンフレットの感じを拝見するに恐らく以前弥生役として出演されていた方だと思われるのですが、話全体のファンタジーとトリックスター担当な感じや性別があえて解らない雰囲気もキューピッドぽくてとても良かったです。メインのお二人と声の感じもだいぶ違って、クピドはソロでメイン2人の絡みとは別に歌う曲も多いので輪郭のはっきりした存在感のある声はぴったりだな!と思いながら聴いてましたし、3人でアンサンブルで歌うと締まる感じで凄い良かったです。

 

 

曲や内容が余りにも個人的に好みだったので、CDを購入して来たのですが私が観て来たAチームとBチームは、演じられている年齢の違いや歌のアプローチの違いもありかなり雰囲気が違いました。公演プログラムに書かれていた「Aチームは月9でBチームは日10」という言葉に凄い納得してしまう感じ(笑)Aチームの方が若い感じの恋愛で少女漫画っぽくて、Bチームの方が大人の恋愛で女性向け漫画な感じ。同じ公演を全く別のキャストで演じるて両方のアプローチを見るのも絶対面白いよな…!と思っています。

豪華絢爛な海外のミュージカルも凄い良いけど、国産のオリジナルミュージカルも素敵だよなあ…と改めて思いました。しかも小劇場の間近な距離で歌もお芝居もこんな贅沢な思いを出来るなんて!!

とても素晴らしい公演を観せて戴きました。本当にありがとうございました!

 

※8/4 ちょっとだけ追記しました。

 

2.5次元舞台を2.5次元以外の目的で見に行った話

先日(と言っても2ヶ月位前になってしまいましたが…)「遥かなる時空の中で6 〜幻燈ロンド〜」を観劇してきました。

 

 

 

 

舞台としてもとても面白い作品で、女性向けシミュレーションゲームが元なので色々とルートがあるのでしょうが、話もとても纏まっていて終わる頃には世界観にどっぷり浸っていました。

 

しかし、ファンの方に大変申し訳ないのですが、遥かは元になっているゲームや登場人物は勿論知っているんですけど、実はプレイをしたことがないのです。

(すいません!あ、石投げないで!!すいません!!!)

 

それならば何故観に行ったのか…というと、この舞台の脚本・演出を手がけている西森英行さんの演出がとても好きで、他の演出作品も見てみたいと思ったことと、西森さんが手がけている舞台である「メサイア」や「悪党」に出演していた橋本真一くんの他の舞台を見てみたかったことが一番に挙げられます。

それ以外もメサイアで黒子を演じていた小谷さんや、SLAZYのEyeball役の長倉くん、デビミュのメィジ役の吉岡さん。

アンサンブルの方もメサイアで拝見したことのある方が多く、極め付けは殺陣指導が六本木さん。そして何より主人公の女の子が可愛かった…!

 

普段拝見している舞台でよく見ている方ばかりで、

「これは行くしかないでしょ!!!」

と軽率にチケットを取ったのが成り行きです。

 

結論としては先述した通り舞台としてもとても面白かったのですが、2.5次元舞台に初めて出会った時の雰囲気や醍醐味を改めて肌で味わうことが出来る稀有な経験が出来た気がします。

 

西森演出の妙

 西森さんの演出は好きな所はいくつかあるのですが、丁寧な心理描写の掘り下げと、話の筋道の見せ方が非常に分かりやすい所が特に好きなんです。

 

2.5次元の舞台は原作ありきなので、原作ファンの人が多く当然見に来ます。そして、これまた当然なのですが、アニメで言う1クール位の情報量を2〜3時間に纏めているものが多く、その分内容が駆け足だったり、「内容知ってるから解るけど、そんないないとは思うけど初めて見る人に解りづらいんじゃないかなあ?」という印象を受けるもの結構あるんですよね…。でも、西森さんの演出は「この作品はどういった世界観の上でどういう登場人物で成り立っているか。」という紹介を冒頭で解りやすく紹介をしてくれます。登場人物紹介の見せ方が各作品において趣向が異なるのも好きです。そこからの話の筋道の立て方もとても解りやすい。冒頭に書いたように作品ファンは勿論、作品自体の話や世界観を知らなくてもその世界観にすっと入って観終わった頃にはその世界にどっぷり浸らせてくれる感じ。見に来た観客に世界観を魅せる演出と解りやすい筋道の脚本は今回も健在でした。

 

 2.5次元舞台の醍醐味

2.5次元舞台の醍醐味は何と言っても

”2次元の中にしか存在しなかった登場人物が次元を超えてこの3次元の世界に存在したと錯覚させること”だと思っています。

 

遙かなる時空の中で」というコンテンツは歴史もあるし、メジャーなタイトルではありますが、決して今物凄く流行している…というコンテンツではないと思います。その分作品をずっと愛している根強いコンテンツのファンしか来ない。そう言った作品を愛している人の御眼鏡に適う作品を作るには生半可なものでは通用しないし、集客も出来ない…と思うのです。

 

しかし、舞台の幕が下りた後に両手で口元を覆って目を潤ませている人や、「ヤバイ!ヤバイ!ヤーバイ!!」と口にしている人、そして終演後の物販の長蛇の列を見て2.5次元のコンテンツとしても素晴らしいものだったんだなあ。と強く感じました。

 

2.5次元コンテンツ。私もとても好きですが、流行もあり濫立しているのは決して否定しません。作品や作品のファンに対して敬意を感じない舞台も正直あります。そう言った点に関しては「遙かなる時空の中で」の舞台は俳優さんや、スタッフさんの丁寧な気持ちを感じることが出来る良い舞台でした。

 

来年の年末に遙かシリーズで最も人気があると言っても過言ではない「遥かなる時空の中で3」が西森さんの演出は変わらず、脚本に坪田文さんを迎え来年の年末に舞台化も決定しました。遥か3は実は積みゲーになっているので(本当にすいません!!!)今度はゲームをしっかりプレイしてまた観劇したいな…と思っています。

 

 

 

 

 



 

 

私が焦がれたメサイア有賀と間宮の話

 メサイアという作品は、作品の特性上主人公がバディを組んでおり、バディ毎のドラマにスポットが当たって話が展開されます。様々な魅力的な登場人物とバディが作中には登場しますが、制作サイドからも舞台シリーズの中で「奇跡の作品」と言わしめる鋼ノ章を牽引したメサイア。暗殺組織の党首の息子であり、暗殺のエキスパートだった有賀 涼と誰よりも音楽を愛し、誰よりも平和を願っていたプロのヴァイオリニストの間宮 星廉。真逆の環境で育った二人が運命の悪戯により交わってしまった故に辿ってしまった悲劇的な末路。そして、メサイアを組む前からどのメサイアよりも本質的に互いの救世主だったにも関わらず、メサイアになれなかった哀しき2人。そんな「奇跡の作品」に触れた私を観劇の世界へ引き込んだ有賀と間宮の2人について話をさせてください。

 

間宮とシュレディンガーの猫

 

 極夜で明らかになった間宮の過去は悲しくて壮絶なものでした。間宮はチャーチに入る所から堤貴也の掌の上で踊らされていた存在であり、彼の道具であると同時に実験動物でもありました。鋼ノ章の本編を観た当時クァンタムキャット(以外QCと略します)が結果として間宮以外外部の人間だったことに「本当に”シュレディンガーの猫”の存在そのものみたい……」と思っていたのですが、極夜を見てその思いは確信に変わりました。間宮はまさに堤貴也によって匣の中に閉じ込められた”シュレディンガーの猫”そのものだったのではないかと思います。

 

 先日演出を手がけている西森さんと脚本を手がけている毛利さんのメサイアトークショーに伺った際に、一緒に聞いていた妹が、

「”裏切っている/裏切っていない”という二つの状態の間宮自体がもはやシュレディンガーの猫の状態でトークショーの中であった、”有賀との絆を感じた時に裏切った”=観測結果的なものを感じた。人間誰しも同じ瞬間に『やめよう』『やろう』って意識が二つになることがあるとい思うし、そのどれに重きを置くかはその時次第だけど両極端の意識も同時に存在するってことに気づいて鋼を見てほしい」

と言っていて、その考えを聞いた私は「なるほどなあ……」と頷いてしまったのでした。

 

 間宮は鋼ノ章の中で2つの対局にある感情の間でずっと揺れ動いている印象があります。

 

自分は裏切り者だ。

自分は有賀のメサイアだ。

全てを壊して燃やし尽くしてしまいたい。

人を殺したくない。

 

 QCを庇っていたのもあるけれど、

「有賀がどんな気持ちで人を殺していたか考えたら怖くなって…悲しくなって…」

と言うのも間宮の本心だったと思うし、淮斗が有賀を陥れた際に

「俺、有賀のメサイアだから」

と淮斗を睨みつけた間宮も本心。

 

 極夜を見ていると間宮は有賀の実力と任務の遂行能力に対しては絶大な信頼をしていたであろうことが読み取れます。しかし、彼の本心には結局間宮自身では最後の最後まで辿り着けなかった。その結果が、鋼の最後の戦闘シーンで

「ごめんよ…有賀」

と泣きそうな顔で間宮が有賀に銃口を突きつけるシーンであり、「あの時殺してくれればこんなに悲しい思いをせずに済んだ。」と有賀に訴えるシーンであると思うのです。陥ってしまった現状に対しては勿論、有賀の想いをもっと早くに知っていたら……という謝罪。そして、最期に自分が心から求めていた、そして自分を求めている存在が側にいる事を知れた喜びと、有賀の想いを知ることが無ければこんなに心を揺さぶられることなく悪魔に魂を売ることが出来た…という悲しみ。間宮は最期の最期まで相反した感情に揺さぶれ続けるのです。

 

 結果として、間宮はサクラになるには優し過ぎたのだと思います。誰よりも平和を願い誰よりも平和を愛していたのに、自分の存在を根底から覆す出生とそれ故に利用されてしまった哀れな猫。

 

 では、本当に間宮は哀れなだけの存在だったのでしょうか。

 

 以下、西森英行さんのHPに掲載されていた鋼ノ章の冒頭のテーブル稽古の資料です。

 間宮はクアンタムキャットの接近を知り、動揺。
※バイオリン演奏…間宮は、もともとバイオリン演奏が純粋に好きで、幼く純粋な思いで奏でていた音色があった。
しかし、調印式典でのテロを経て、以降、純粋な音が出なくなった。その音を内心探している。「あの音が見つからない」。 メサイアとなった間宮は、心乱れるとバイオリンを弾く。演奏によって心を落ち着かせたいと思うが、内心「あの音」を探してしまうため、かえって心乱れる悪循環に陥る。(http://www.nishimorihideyuki.comより)

 調印式典でテロが起こる前に最後に弾いたのは『G線上のアリア』なのです。最後に弾かれた『G線上のアリア』は有賀への手向けと謝罪であり、映画の内容を踏まえるなら有賀を信じた間宮の”間宮レポート”に対するヒントであり、何より「あの音」を最後に取り戻させてくれた救い人に対する感謝と御礼だったのではないかな……と思うのです。それはエンディングでオープニングと逆の立ち位置で柔らかい笑顔でヴァイオリンを弾く間宮と上記の資料を併せて確信に変わりました。

 

そう。

 

最期のあの瞬間に間宮は有賀によって救われていた。

 

と。

 

有賀にとっての救いと枷

 

 間宮と有賀の設定でずるいのが、有賀の振る舞いだと思ってます。翡翠ノ章まで

「間宮との溝が埋まらない」

と言い、さして間宮に対して興味を示していない様に見えた有賀の実は何よりも誰よりも強い間宮へのベクトル。まあ、ずるいと同時に

「もっと早くにアクションを起こしていれば…!」

とは思ってしまうのですが。

 

 第2世代のサクラ候補生の面々は第1世代に比べてより闇が深いイメージがあるのです。いや、闇が深いというより闇に呑まれていったという表現の方がしっくりくるのかもしれません。時系列としては本編上は暁のオープニング手前→極夜→暁本編。という順番になるのだと思うのですが、暁乃刻で印象的に使われるチェーカーの

「死者に囚われて冥府に引き摺り込まれるな」

という台詞、これは白崎だけではなく有賀にもそのまま当てはまると私は思っていたのです。しかし、極夜を見た今、その見解は少し違っていたのかもしれないと考えるようになりました。有賀が冥府に引き摺り込まれなかったのは、何者でもない死者本人……即ち間宮がそれを望んでいなかったのだと。

 

  私が誰よりも焦がれたメサイアの2人はあの極夜での万夜の協力による邂逅の瞬間本当に文字通り永遠の”魂の伴侶”になったのだと思います。そして間宮は再び有賀を救ったと同時に併せて有賀へ大きな枷をかけました。言葉では示されませんでしたが、

 

『いつきと共に未来を歩んで欲しい』

 

という枷を。いつきとのメサイアを全うすることは同時に間宮の願いでもある。そう考えると暁の本編の有賀の行動も何となく見方が変わってきます。

 

 第2世代のサクラ候補生は総じて危うい印象を受けます。しかし、その中でも1人闇の中に生まれ、闇の中に生きて来たのが有賀という存在だと思うのです。”サクラになる資質は深い絶望”であるとするならば、有賀はサクラ候補生になった時間宮によって希望を灯されていたイレギュラーな存在。(元の出自が特殊とは言えども)しかし、結果として間宮を手にかけたことと、そして翡翠の時に何かアクションを起こしていればもしかしたらあの結末には至らなかったのかもしれないという後悔によって初めてサクラ候補生に必要な”深い絶望”という素質を真の意味で手に入れたのではないかと思うのです。しかし、そんな状況の中でも有賀はまた間宮によって未来へ生きる道を示されてしまった。結果として有賀は間宮と切っても切り離せないのです。

 私は間宮もいつきもそれぞれが最悪の状況に陥っても決して有賀のことは攻めない。むしろ2人ともタイプは違えど有賀に対して謝罪と感謝をするタイプのメサイアだとおもっています。(しかし、それが有賀にとって幸か不幸かは解りませんが……)

 

 私は最悪第2世代全てのサクラ候補生がいなくなってしまっても有賀だけは他の人の想いと己の罪と罰を背負いながら1人きりであの鋭い眼光で前を見据えて、茨の道を歩み生き続ける気がするのです。

 

 

  つらつらと有賀と間宮について書いてしまいましたが、2人の関係は極夜で一旦の区切りがついたのではないかと私は思っています。有賀は間宮の想いを抱えながら間宮と違った形でいつきとメサイアの関係を紡いでますし、きっと間宮は有賀といつきのすぐそばで2人の行く末を困った様な表情をしながら、そして2人のやりとりを笑いながら見守っているのではないか……と勝手に思っています。(宵宮のプロローグ辺りの有賀を見てめちゃくちゃ間宮は有賀を心配していたのではないかとも思ってます。どんな話かは動画がyou tubeに上がってるので是非)ここのメサイアは「逆めぞん一刻」みたいなメサイアの関係性かなあ。というのが個人的な最終的に至る見解です。

 

 いつきと有賀のメサイアが嫌いな訳ではありません。有賀と間宮のメサイアと有賀といつきのメサイアはそれぞれベクトルが違うと思っています。(だからこその暁の名前呼びの展開だと思っているのです)

 ただ、有賀と間宮の物語がなければここまでメサイアにも観劇にも傾倒することはなかったし、この一種特殊ないわば悲劇的な信仰にも悲恋にも近い感覚すら覚える有賀と間宮というメサイアは私の中でも特別な存在感を帯びているのだと思います。それは恐らくこれからも変わりません。

 

 9月の新作『悠久乃刻』有賀といつきの集大成。彼らにどんな試練が待ち受けているのか…。そして、彼等第2世代の物語にどんな終止符が打たれるのか今から心して待とうと思います。