私が焦がれたメサイア有賀と間宮の話

メサイアという作品は、作品の特性上主人公がバディを組んでおり、バディ毎のドラマにスポットが当たって話が展開されます。様々な魅力的な登場人物とバディが作中には登場しますが、制作サイドからも舞台シリーズの中で「奇跡の作品」と言わしめる鋼ノ章を牽引したメサイアコンビ。暗殺組織の党首の息子であり、暗殺のエキスパートだった有賀 涼と誰よりも音楽を愛し、誰よりも平和を願っていたプロのヴァイオリニストの間宮 星廉。真逆の環境で育った二人が運命の悪戯により交わってしまった故に辿ってしまった悲劇的な末路。そして、メサイアを組む前からどのメサイアよりも本質的に互いの救世主だったにも関わらず、メサイアになれなかった哀しき2人。そんな「奇跡の作品」に触れた私を観劇の世界へ引き込んだ有賀と間宮の2人について話をさせてください。

 

間宮とシュレディンガーの猫

 

極夜で明らかになった間宮の過去は悲しくて壮絶なものでした。間宮はチャーチに入る所から堤貴也の掌の上で踊らされていた存在であり、彼の道具であると同時に実験動物でもありました。鋼ノ章の本編を観た当時クァンタムキャット(以外QCと略します)が結果として間宮以外外部の人間だったことに「本当に”シュレディンガーの猫”の存在そのものみたい…」と思っていたのですが、極夜を見てその思いは確信に変わりました。間宮はまさに堤貴也によって匣の中に閉じ込められた”シュレディンガーの猫”そのものだったのではないかと思います。

 

先日演出を手がけている西森さんと脚本を手がけている毛利さんのメサイアトークショーに伺った際に、一緒に聞いていた妹が、

「”裏切っている/裏切っていない”という二つの状態の間宮自体がもはやシュレディンガーの猫の状態でトークショーの中であった、”有賀との絆を感じた時に裏切った”=観測結果的なものを感じた。人間誰しも同じ瞬間に『やめよう』『やろう』って意識が二つになることがあるとい思うし、そのどれに重きを置くかはその時次第だけど両極端の意識も同時に存在するってことに気づいて鋼を見てほしい。」

と言っていて、その考えを聞いた私は「なるほどなあ…」と頷いてしまったのでした。

 

間宮は鋼ノ章の中で2つの対局にある感情の間でずっと揺れ動いている印象があります。

 

自分は裏切り者だ。

自分は有賀のメサイアだ。

全てを壊して燃やし尽くしてしまいたい。

人を殺したくない。

 

QCを庇っていたのもあるけれど、「有賀がどんな気持ちで人を殺していたか考えたら怖くなって…悲しくなって…」と言うのも間宮の本心だったと思うし、淮斗が有賀を陥れた際に「俺、有賀のメサイアだから。」と淮斗を睨みつけた間宮も本心。

 

極夜を見ていると間宮は有賀の実力と任務の遂行能力に対しては絶大な信頼をしていたであろうことが読み取れます。しかし、彼の本心には結局間宮自身では最後の最後まで辿り着けなかった。その結果が、鋼の最後の戦闘シーンで「ごめんよ…有賀。」と泣きそうな顔で間宮が有賀に銃口を突きつけるシーンであり、「あの時殺してくれればこんなに悲しい思いをせずに済んだ。」と有賀に訴えるシーンであると思うのです。陥ってしまった現状に対しては勿論、有賀の想いをもっと早くに知っていたら…という謝罪。そして、最期に自分が心から求めていた、そして自分を求めている存在が側にいる事を知れた喜びと、有賀の想いを知ることが無ければこんなに心を揺さぶられることなく悪魔に魂を売ることが出来た…という悲しみ。間宮は最期の最期まで相反した感情に揺さぶれ続けるのです。

 

結果として、間宮はサクラになるには優し過ぎたのだと思います。誰よりも平和を願い誰よりも平和を愛していたのに、自分の存在を根底から覆す出生とそれ故に利用されてしまった哀れな猫。

 

では、本当に間宮は哀れなだけの存在だったのでしょうか。

 

以下、西森英行さんのHPに掲載されていた鋼ノ章の冒頭のテーブル稽古の資料です。

 間宮はクアンタムキャットの接近を知り、動揺。
※バイオリン演奏…間宮は、もともとバイオリン演奏が純粋に好きで、幼く純粋な思いで奏でていた音色があった。
しかし、調印式典でのテロを経て、以降、純粋な音が出なくなった。その音を内心探している。「あの音が見つからない」。 メサイアとなった間宮は、心乱れるとバイオリンを弾く。演奏によって心を落ち着かせたいと思うが、内心「あの音」を探してしまうため、かえって心乱れる悪循環に陥る。(http://www.nishimorihideyuki.comより)

調印式典でテロが起こる前に最後に弾いたのは『G線上のアリア』なのです。最後に弾かれた『G線上のアリア』は有賀への手向けと謝罪であり、映画の内容を踏まえるなら有賀を信じた間宮の”間宮レポート”に対するヒントであり、何より「あの音」を最後に取り戻させてくれた救い人に対する感謝と御礼だったのではないかな…と思うのです。それはエンディングでオープニングと逆の立ち位置で柔らかい笑顔でヴァイオリンを弾く間宮と上記の資料を併せて確信に変わりました。

 

そう。

 

最期のあの瞬間に間宮は有賀によって救われていた。

 

と。

 

有賀にとっての救いと枷

 

 間宮と有賀の設定でずるいのが、有賀の振る舞いだと思ってます。翡翠ノ章まで「間宮との溝が埋まらない。」と言い、さして間宮に対して興味を示していない様に見えた有賀の実は何よりも誰よりも強い間宮へのベクトル。まあ、ずるいと同時に「もっと早くにアクションを起こしていれば…!」とは思ってしまうのですが。

 

第2世代のサクラ候補生の面々は第1世代に比べてより闇が深いイメージがあるのです。いや、闇が深いというより闇に呑まれていったという表現の方がしっくりくるのかもしれません。時系列としては本編上は暁のオープニング手前→極夜→暁本編。という順番になるのだと思うのですが、暁乃刻で印象的に使われるチェーカーの

『死者に囚われて冥府に引き摺り込まれるな。』

という台詞、これは白崎だけではなく有賀にもそのまま当てはまると私は思っていたのです。しかし、極夜を見た今、その見解は少し違っていたのかもしれないと考えるようになりました。有賀が冥府に引き摺り込まれなかったのは、何者でもない死者本人…即ち間宮がそれを望んでいなかったのだと。

 

 私が誰よりも焦がれたメサイアの2人はあの極夜での万夜の協力による邂逅の瞬間本当に文字通り永遠の”魂の伴侶”になったのだと思います。そして間宮は再び有賀を救ったと同時に併せて有賀へ大きな枷をかけました。言葉では示されませんでしたが、「いつきと共に未来を歩んで欲しい。」という枷を。いつきとのメサイアを全うすることは同時に間宮の願いでもある。そう考えると暁の本編の有賀の行動も何となく見方が変わってきます。

 

第2世代のサクラ候補生は総じて危うい印象を受けます。しかし、その中でも1人闇の中に生まれ、闇の中に生きて来たのが有賀という存在だと思うのです。”サクラになる資質は深い絶望”であるとするならば、有賀はサクラ候補生になった時間宮によって希望を灯されていたイレギュラーな存在。(元の出自が特殊とは言えども)しかし、結果として間宮を手にかけたことと、そして翡翠の時に何かアクションを起こしていればもしかしたらあの結末には至らなかったのかもしれないという後悔によって初めてサクラ候補生に必要な”深い絶望”という素質を真の意味で手に入れたのではないかと思うのです。しかし、そんな状況の中でも有賀はまた間宮によって未来へ生きる道を示されてしまった。結果として有賀は間宮と切っても切り離せないのです。

私は間宮もいつきもそれぞれが最悪の状況に陥っても決して有賀のことは攻めない。むしろ2人ともタイプは違えど有賀に対して謝罪と感謝をするタイプのメサイアだと思っています。(しかし、それが有賀にとって幸か不幸かは解りませんが…)

 

私は最悪第2世代全てのサクラ候補生がいなくなってしまっても有賀だけは他の人の想いと己の罪と罰を背負いながら1人きりであの鋭い眼光で前を見据えて、茨の道を歩み生き続ける気がするのです。

 

 

 つらつらと有賀と間宮について書いてしまいましたが、2人の関係は極夜で一旦の区切りがついたのではないかと私は思っています。有賀は間宮の想いを抱えながら間宮と違った形でいつきとメサイアの関係を紡いでますし、きっと間宮は有賀といつきのすぐそばで2人の行く末を困った様な表情をしながら、そして2人のやりとりを笑いながら見守っているのではないか…と勝手に思っています。(宵宮のプロローグ辺りの有賀を見てめちゃくちゃ間宮は有賀を心配していたのではないかとも思ってます。どんな話かは動画がyou tubeに上がってるので是非。)ここのメサイアは「逆めぞん一刻」みたいなメサイアの関係性かなあ。というのが個人的な最終的に至る見解です。

 

いつきと有賀のメサイアが嫌いな訳ではありません。有賀と間宮のメサイアと有賀といつきのメサイアはそれぞれベクトルが違うと思っています。(だからこその暁の名前呼びの展開だと思っているのです。)

ただ、有賀と間宮の物語がなければここまでメサイアにも観劇にも傾倒することはなかったし、この一種特殊ないわば悲劇的なむしろ悲恋にも近い感覚すら覚える有賀と間宮というメサイアは私の中でも特別な存在感を帯びているのだと思います。それは恐らくこれからも変わりません。

 

9月の新作『悠久乃刻』有賀といつきの集大成。彼らにどんな試練が待ち受けているのか…。そして、彼等第2世代の物語にどんな終止符が打たれるのか今から心して待とうと思います。