【ネタバレ観劇感想】メサイア〜悠久乃刻〜

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メサイア〜悠久乃刻〜』大千秋楽目前おめでとうございます!

メサイアシリーズと出会って初めて生で観劇したのが『翡翠ノ章』で鋭利や珀達の後輩として登場していた面々。それこそチャーチに来た最初の頃からシリーズを通して追いかけてきた世代が全員卒業していきました。特に私を観劇の世界に引きずり込み、人生を半ば狂わせていったと言っても過言ではない井澤勇貴くん演じる有賀涼の卒業とあって感慨もひとしおです。

観た後はその幕引きに凄い高揚感がある訳でも、絶望感に打ちひしがれる訳でもなく。「嗚呼。終わってしまったんだな。」という静かな凪の様な心持ちになりました。

有賀と加々美の卒業ミッション。以下いつもと同じように盛大なネタバレをしながら感想を述べていきます。同時に、以前の暁乃刻の感想ブログでも述べましたが、ここのメサイアは有賀・加々美・間宮そして今回はハングドマンも加わり、それぞれ感情移入する登場人物の立場によって恐らく持つ感想や感じることが違うと思うのです。前もって言っておきますが、このブログの主は有賀好きで有賀・間宮寄りの見方をしているので、正直「考えが合わない」と感じる部分もあるかもしれません。以上を了解でした上で一つの悠久の解釈と捉えて読んで貰えると幸いです。


有賀と3人の半身

私は今回の物語は「有賀と加々美が間宮の願いの下に結ばれ卒業していく、3人でメサイアの物語」だと思っています。

今回の『悠久乃刻』では「平和な世界を作りたい。」という有賀の一貫した明確な願いが描かれ、それを1つの軸にして話が進む印象があります。それはかつての有賀のメサイアである間宮が望んだ世界であり、『鋼ノ章』のラストで有賀が間宮に対して立てた誓いでもある。そしてその世界を共に実現して欲しいと願うのが今のメサイアの加々美であり、「何も自分からやりたいと思ったことがない。」と言う加々美が初めて自分の意思で「有賀と共に歩んで平和な世界を作ると言う願いを叶えたい。」と自発的に動くのです。

 

加々美の設定がイメージしていたよりも間宮に関して嫉妬していたのが意外ではありました。加々美は間宮の代わりになれるように努力していた。それが加々美の健気な所であり、涙ぐましい所ではあるのですが、加々美は決して間宮の代わりににはなれなかった。間宮のいた所に加々美が存在することは出来ない。それを加々美自身が理解して受け入れ、有賀の中の間宮の存在を肯定して、加々美が有賀と共にやるべきことと歩むべき意味を己で見出した時に加々美は初めて有賀の本当の意味でのメサイアになれたのだと思います。そして同時に間宮が存在していたからこそ有賀と加々美はメサイアになれたとも思うのです。

 

それを象徴すると感じるシーンが悠久の劇中で2つ。

 

一つは加々美と記憶を喪った有賀の戦闘シーンからの(ちなみに、ここも鋼の間宮と有賀の戦闘シーンを一部重ねてあって胸が熱くなりましたね。)加々美がヴァイオリンを奏でようとするシーン。先の”有賀の中の間宮の存在を肯定して、加々美が有賀と共にやるべきことと歩むべき意味を己で見出した”決定打のシーンでもあると思います。「あの人に頼るのは癪だけど。」と言いながらG線上のアリアを弾こうとする加々美。頼るのは癪でも、その手前で加々美が間宮の名前を出した時に記憶を喪った有賀は1番反応をしますし、(見間違いでなければ小さく”まみや”って口が動く気がするんですよね…気のせいだったらマジですいません。関係ありませんが、ここの第三の闇モード有賀から通常モードの有賀に戻る演技が今回の個人的スマッシュヒットポイントです。)結果として間宮の存在の力を借りないと有賀を正気に戻すことは出来なかった。

 

そして、もう一つは時系列が少し前後しますが、加々美とチェーカーが戦うシーンです。今までチェーカーの言いなりで生きてきた加々美。そして、チェーカーを離れても尚、操られるように生きてきた加々美。その加々美が自分の意思で「有賀の願いに協力する為に生きる。」と決めてチェーカーを撃ちます。撃たれたチェーカーの手には拳銃が握られており、あの時少しでもこの決意に躊躇があれば加々美はチェーカーに撃たれて殺されていたことはゆうに想像出来ます。

 

それは、今回の悠久の前の作品である『暁乃刻』でネクロマンサーに乗っ取られた加々美を有賀が撃つことが出来ないシーンも同様です。『暁乃刻』のブログでも述べましたが、ここで過去に間宮を殺していなければ、有賀は容赦なく加々美に引き金を引けていたと思うのです。


何度も言いますが、有賀の願いとは即ち間宮との誓い。有賀と加々美は間宮の存在と願いの下に生かされている。彼らがそれぞれ存在した結果強い絆で結ばれた今までとは少し趣の違うメサイアの一つの形だと思っています。

 

そして、同時に大きく関わってくるのがかつての親友ハングドマンこと神門シンの存在。シンはかつて第三の闇時代の親友であり、「世界の全てを壊す」と有賀と約束した存在。しかし、そんな最中に間宮の奏でるヴァイオリンに出会い有賀は親友を残して単独で第三の闇を壊滅させてしまう。最終的に「自分の魂は曲げられない、お前のやり方でいい…世界を正してくれ」と言う言葉を遺し、有賀の手にかかろうとするシン。かつての親友を撃てない有賀をチャーチ鉄の掟の詠唱と共に加々美と手にかける。シンが破壊の象徴であるとするならば、加々美は再生の象徴である気もします。間宮も有賀にとっては再生の象徴だと思うのですが、最終的に世界を破壊しようとした…と言う点、そして平和に殉じたと言う点では間宮とシンは似ているのかもしれません。


今回の作品に登場する有賀にとって半身とも言える存在三人は、有賀にとってかけがえの無い大切な人間であり、魂の一部でありながら、それぞれ有賀にとっての存在の在り方が違います。私の個人的な印象としては

怒りを分かち合った魂の同胞シン。
希望と願いを灯した魂の伴侶間宮。
目的と未来の為に共に進む魂の相棒加々美。

という印象です。その違いを見せながら有賀という人間の在り方と生き方を悠久では垣間見た気がします。

 

孤独な殺人機械かと思いきや結構有賀人誑しで罪深い存在だったんだな…とも思ったのは内緒の話です。QCの時シンは間宮をどんな気持ちで見ていたんでしょうね…。それとも有賀と約束した世界の破壊の為に有賀の心を奪っていった相手を使ったのでしょうか…。その真意は…解りません。

 

 

もしかしたらあったかもしれないifの未来

これは妹に指摘されて気づいたのですが、少し前にあったエキシビジョンというメサイアの展示イベント。展示は今回の悠久のブロマイド等で使われている前撮り写真が大半だったんですけど、その中で使われていない写真がありました。それがこれ。

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撮影禁止の額装展示だったのですが購入して手元にきているので大丈夫だと思って上げます。(ダメだと思ったらご指摘ください)この加々美の写真。これ多分第三の闇の衣装ですよね。そこから導き出した妹の仮定が「ハングドマンがシンではなく、加々美がシンで、有賀に殺されるルートもあったのではないか。」というものです。姉ちゃん目から100枚位鱗が落ちました(笑)確かにこれも妹が言ってて激しく同意したんですけど、卒業衣装のブロマイド後撮りな感じだし、シンの最後の台詞と共に己の半身2人を手にかけてその2人の魂と誓いだけをメサイアに独りだけで戦い続ける有賀って想像に難くないんですよ…。

 

正直、第2世代の他のキャラは脆さや依存的な側面を見せるキャラが多いのですが、有賀だけはその中でも少々異質な気がします。彼はきっとどんな過去や運命にも決して揺るがず1人でも立ち向かう。それは「俺が覚えている。」という有賀の台詞に集約されている気がします。記憶を喪うかもしれない加々美のことだけではなく、過去に己が手にかけた半身…間宮とシンのことも全て自分が覚えている…と言う意味だと思うのです。即ちそれは彼らの思いを背負って前に進むということ。きっと有賀はたった1人でも荊の道を歩んでいったでしょう。かつての半身シンの思いを背負い、間宮の願いと共に。そして有賀はきっとそれができる。しかし、シンと加々美がイコールの存在で2人を手にかけるのではなく、隣で一緒に思いと重荷を背負って同じ目的へ歩んでくれるメサイアという存在であって、共に卒業して良かったな…と今は思うばかりです。

 

新たな第3世代の幕開け

第1世代のサクラ候補生はメサイアの存在以外にもそれぞれ生きる理由があり、それぞれがそれぞれ確固とした”個”を持ち自立しているイメージです。(珀だけがその観点からするとちょっと依存的かとしれませんが…)


それに対して第2世代は依存的な側面を持つキャラが多く、メサイアの形も歪。何かそれぞれ目的がある…というより、相手の為に生きて存在することが理由であり目的である登場人物が多かった気がします。元々登場時から共依存気味だった白崎と悠里はメサイアシステムを突き詰めた先の究極のメサイアの形を。有賀・加々美・間宮は誰よりも大切なメサイアを喪ったあと、喪った相手と新たなメサイアはどのような関係性を形成していくのか。そして、先にも書きましたが、それぞれがそれぞれのメサイアとして存在しなければサクラとして生き得なかったいわば”3人でメサイア”という形を。第2世代のメサイアメサイアシステムを突き詰めたその先を見せてきたイメージです。白崎も有賀もそれぞれ卒業する時は一人でチャーチを去ります。それぞれのメサイアの形と共にチャーチの去り方が第2世代を象徴するようだな…と思っています。

 

そして、この後に控える第3世代。まだあくまで空気感を匂わせているだけですが、最初からメサイアとしての明確な「理由づけ」がある分第2世代とは別の意味で荊道になるような気がしてなりません…!

 

まず、柚木と御池の”照る日の杜”コンビ。柚木は元信者。御池は元御神体。そして御池は柚木を知っているけど、柚木は御池が御神体であることを知らずに、「もし願いが叶うなら御神体を生き返らせて殺してやりたい。」と言う憎しみを顕わにします。対する御池は厭世的で己の死に場所を探す為に生きている危うさがあります。そして今回「殺されるなら君に殺されたい!!!」と柚木に縋り付く御池(ちなみにここの長江くんの演技最高でした…)

…もうこの時点で色んな意味で地獄かよ!!!

と言いたくなってしまう(笑)劇場特典小説や極夜の中で、御池は本物の霊的な能力があることが示されてますし、”照る日の杜”時代にも御池に対して特別な感情を抱いている糸織という存在のキャラクターも出てきてましたし。(今後舞台に出てきそうですね。)ましてや柚木が真実を知ってしまったらどうなるの!?って所もありますし。もう今から地獄感ハンパなくてゾクゾクするコンビです。

対して小暮と今回から出てきた雛森のコンビ。暁の時の一嶋係長に対する反応から多分一嶋係長の身内の方なんだろうなあ…と予測はしていたのですが、身内ですらない…彼は恐らく一嶋係長に己との関係を問うて耳打ちされてから先の反応を見るに、小暮は一嶋係長のクローンであることが推察されます。(劇中サクラ候補生に対しては一嶋係長は小暮にしか攻撃してないんですよね。ちなみに「僕がいなくても代わりはいくらでもいますから。」って言う台詞に対して『綾○…』って思ったのはこれも内緒です。)対して雛森は過去に一嶋係長に陥れられ生死の境を彷徨う重傷を負って5年間眠っていた…と言います。「サクラ候補生に戻ったのは一嶋係長を殺す為」と明言している。一嶋係長はわざわざ憎悪を己に向けるようなメサイアを組ませてどうするつもりなのか。彼の真意が気になる所ではあります。同時に「小暮はアイデンティティ障害」と演出の西森さんが言っていた意味を初めて理解しました。小暮が一嶋係長のクローンであれば己のアイデンティティがどこにあるのか見失ってもおかしくない。飄々としている雛森の真意や一嶋係長との過去も底知れません。憎むべき相手のクローンと組んだ雛森と己のアイデンティティに疑問を持つ小暮がどういう化学反応を起こしてくるのか。

そして、とうとうサリュートとスークという北方のコンビも新たなコンビに加わりました。立場が変われば敵と味方が逆転する。それぞれの立場のそれぞれの思いで動いている。そこにスポットを当てるのも非常にメサイアらしいと思います。スークとサリュートは身分に差がある様だし、サリュートはサクラ候補生に負けず劣らず仄暗い過去と目的を持っている様子。スークはそれに対して北方のお偉方の子息でスパイをしているのはスリルを味わいたい暇つぶし程度にしか思ってなさそうで、確実にこの先鼻っぱしをへし折られて絶望しそうなフラグがぷんぷんします。黒幕のボスフォートの校長も絡んで(この校長過去のチャーチ関係者だと思ってしまうのは私だけでしょうか…)どうこの2人の関係が紡がれていくのかも見ものですし、恐らくシリーズ存続したら今後あるであろう北方コンビ編も早く見てみたい気がします。

 



メサイアという作品の根底にあるのは
「人が死ぬってことは大変なことなんだ」と加々美が泣きながら有賀に放った一言に尽きると思います。メサイアを見ているとメサイアの世界に現実世界が近づいている様に錯覚する時すらあります。ハードな展開と華麗なアクションの根底に描かれている、フィクションでファンタジーと見せかけた底知れぬリアリティの世界。

冒頭にも書きましたが、自分がメサイアに触れたのは第2世代の面々が出始めた頃でした。有賀と間宮がいなければ多分メサイアにハマっていないし、観劇にもこんなにハマっていなかったと思います。白崎と悠里、勿論加々美もめちゃくちゃ好きで、メサイアの第2世代をきっかけに若手俳優どんどん覚えていった節があるので、本当に思い入れが半端なく彼らが何らかの形でいなくなったり卒業していったりして全員いなくなるのがまさに「こんな日が来るとは思わなかった」状態なのですが、代が変わっても相変わらず新しいキャラクターメイキングも上手いし、世代交代の仕方も上手いしで、まだまだメサイアの沼から出られそうにありません。

今後次の世代がどんな物語を紡いでいくのか、まだまだチャーチとサクラ候補生の行く末を見守っていこうと思います。