有賀と加々美と5人のサクラ候補生の話
『メサイア〜悠久乃刻〜』大千秋楽を観劇してきた。その時のカーテンコールの挨拶で有賀役の井澤くんが「僕たち5人で卒業だと思っています」と言ってくれたのが私は本当に本当にとんでもなく嬉しかった。とりあえずその一言を聞いて私は客席で1人めっちゃ泣いた。
その5人とは有賀と加々美の2人。そして有賀と共にチャーチに入った3人。過去に卒業していった白崎・悠里。そして……サクラになれずに本編を退いた間宮。
私はとりあえず何度も言っているように、”有賀涼”というキャラクターがとても好きだ。しかし、本音を言うと、深紅から暁まで有賀と加々美のコンビを見ているのは正直結構苦しかった。加々美は決して間宮の代替品ではないし、加々美と間宮は有賀にとってベクトルの違う存在であるとは登場時から最後まで一貫して思っている。加々美は有賀と良い関係を築いて良いメサイアになって欲しい。でも、同時に加々美と有賀の関係性が深まれば深まる程、間宮の存在が消えていってしまうようで。そして、有賀が間宮を手にかけたからこそ成長したのは解るのだけれど「最初からその接し方が出来ていれば間宮は死なずに済んだかもしれない」という絶対にあり得ない”もし”を考えてしまって。
有賀と加々美は良きメサイアであって欲しい。けれど、心のどこかで全ては受け入れ切れない自分がいて。最初『悠久乃刻』が”有賀と加々美の卒業ミッション”と聞いた時100%手放しで受け止め切れない自分が本当に嫌だった。でも、間宮という決して戻って来ない存在が、二度と有賀のメサイアとして存在することはない。頭では分かっていても心が追いつかない矛盾。それだけ”間宮星廉”というキャラクターの死に様は強烈で鮮烈で私の心に深い深い爪痕を遺していたのだ。
加々美は蔑ろにして欲しくない。でも、間宮を置いて行って先に行って欲しくもない。ではどうしたら良い。有賀とどちらかずつでは受け入れ切れないなら、どうしたら3人揃って自分は受け入れられるのか。
その答えは『悠久乃刻』が始まるまで私の中で見つけられなかった。
どうやら同じようなことを思っていたのは私だけではなかったらしい。
間宮という存在について、鋼までを追ってきた人たちの中では大小はあれど心の傷になっていると思う。私は間宮という存在を軽く扱われるのも重くされすぎて加々美の存在が宙に浮いてしまうのも嫌だった。西森先生はきっと私たちのそういう葛藤を察していて、今日ああいう挨拶をしてくれたんだなと思う。
— ツカサ@黎明 (@pk_tukasa) 2017年9月24日
この”西森先生の挨拶”と言うのが。
「間宮の扱いをどうするか迷った」
と言うものだった。
「正直そめちゃんを映像で出したり、来てもらったり……色々なことは考えた。でもあれだけ全力で死んだ人間を笑顔で呼び戻すことは出来ない。だから今回の『悠久乃刻』では有賀と加々美の背に間宮を見てもらおうと決断を下して、敢えて出すことをしなかった。これは自分の口から言わないといけないと思った」
色々差異はあるとは思うが、大筋こういった内容だった。この演出の西森さんの挨拶を聞いて私はまた客席でべそべそ泣いた。
そんなこんなで大阪からトンボ帰りしてきて今朝フォロワーさんのこんなツイートを拝見した。
間宮の名前が出るとやっぱり否が応でも泣いてしまって、悠久は有賀と加々美の卒業なのに間宮の名前を聴いて泣いてしまうのは?って考えてしまうときもあったけれど「5人の卒業」って言葉でスッとした
— ゆうか (@taaaa115) 2017年9月24日
有賀と加々美だけでは卒業できなかった。白崎と悠里の卒業ミッションも勿論2人の力だけではないけれど「サクラ候補生の有賀涼」を取り戻す為に、白崎と悠里が力を貸し、間宮は引き金となってくれた。5人だったと思った。「癪だけど」っていう加々美の言葉、哀しそうでもあり嬉しそうでもあったな。
— ゆうか (@taaaa115) 2017年9月24日
『悠久乃刻』という物語が。大阪での挨拶が。もっと自分の中で腑に落ちた。そしてまた懲りずに朝から涙した。
『悠久乃刻』は有賀と加々美の卒業の話ではあるが、同時に間宮のかつての想いや存在を色濃く匂わせる巧みな作りをしていた。 前のブログでも書いたが、それぞれがそれぞれ存在しないと互いに生き得なかったという3人で一つのメサイアの形だと見ていて私は思った。私が求めていた「3人揃って受け入れる」答えが綺麗に示されていた。
しかし、劇中敵の手に堕ち、チャーチにいた頃の記憶を喪ってしまった有賀を取り戻す為に協力したのは、かつての同期である白崎と悠里。そして、有賀を呼び戻す為に間宮の力を借りる。"サクラ候補生の有賀涼”を取り戻すためにいつきの肩にかつての候補生の想いが乗っかるのだ。彼等は3人だけではなかった。間違いなく5人いた。過去にかつての候補生の彼らがいて、彼らが力を貸してくれたからこそ加々美は有賀を取り戻し2人は卒業できた。
続けてフォロワーさんはこうも述べている。
間宮は自分のメサイアに自分の世界を終わらせて夢を託すっていう、本当に残酷で美しい死に方、終わり方をしたんだと思う。本当に全力で死んでいったって言葉がピッタリ。そして1度死んで常に死と隣り合わせの世界で、サクラ候補生たちは死なないっていう何となくでも存在した固定概念を壊された。
— ゆうか (@taaaa115) 2017年9月24日
「『鋼ノ章』が今のメサイアシリーズの流れを作った」と西森さんが述べていたのはこの”なんとなくでも存在していた固定概念”を壊した部分が大きいと思うし、次の『暁乃刻』の悠里はその部分をより深めている印象がある。そして、この固定概念が壊されたからこそこの下の代の存在の幅や話の幅が膨らんだのではないかな……とも私は偉そうにも感じている。
このフォロワーさんの呟きを見て「『悠久乃刻』は有賀と加々美だけではなく、有賀と加々美がいた代5人の卒業の話なんだな」と冒頭で書いた井澤くんの挨拶を反芻しながら改めて思った。
先代の卒業ミッション『翡翠ノ章』で後輩として協力していた当時の有賀含め同期4人の半分はいなくなってしまった。でも、彼等の想いは。彼等の存在は。共にずっと生きている。白崎はどこかで人工知能・ネクロマンサーと同化した悠里と共にあるだろうし。加々美と有賀もどこかでサクラとして活躍しているし、彼等の背中に間宮もきっといる。
悠久が終わった今なら素直に言える。
加々美が有賀のメサイアでいてくれてありがとう。有賀は加々美と間宮のメサイアでいてくれてありがとう。
白崎・悠里・有賀・加々美・間宮
……彼等5人は共に同じ道は進めなくとも、想いはきっと共にあるのだと思う。沢山の景色を見せてくれた、最初に出会ったサクラ候補生が彼等で本当に良かった。そして最初に出会ったサクラ候補生の卒業を最後まで見届ける事が出来て本当に良かった。
改めて本当に5人卒業おめでとうございます。
悠久乃刻の中でまたいつか……