【ネタバレ観劇感想】メサイア〜暁乃刻〜

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メサイア~暁乃刻~』いよいよ明日大千秋楽ですね。
本当におめでとうございます。
相変わらずの製作スタッフさんや俳優さんの熱量をひしひしと感じる素晴らしい舞台でした!
同時に相変わらずの凄まじい作品でもありました…

メサイアシリーズ新作にして新章開幕。
新章にしていきなり
メサイア不在の白崎護卒業ミッション」
と言う最初からクライマックスな文字が踊ります。
前作の舞台『鋼ノ章』はシリーズきっての衝撃作だと思っていましたが、
『暁乃刻』も負けずとも劣らない衝撃的な展開でしたね。

メサイアは登場人物の生き様を色濃く描いている作品だと思うのですが、
今回も護と淮斗を中心にそれぞれの生き様をまざまざと見せつけられた話でした。

今回は敵味方問わず魅力的な新キャラ・新キャストさんが沢山出てくる中、
座長として舞台とシリーズとを1人で背負った白崎護役の赤澤燈くんのカーテンコールのお辞儀の姿がいつも印象に残っています。


ちなみに

「『暁乃刻』がメサイア初めてです!」

と言う方は、今回の作品は主要登場人物の見せ場が過去の作品にかかってきているので、以前のシリーズ『紫微ノ章』『鋼ノ章』を押さえておくとより話が繋がると思います。

 

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以上の過去作の話も交えつつ
今回の話の中心となる赤澤燈くん演じる白崎護と廣瀬大介くんが演じていた悠里淮斗。
そして、同じく先輩サクラとして名を連ねる井澤勇貴くん演じる有賀涼と杉江大志くん演じる加々美いつき。
この4人の先輩サクラの話を中心に長いネタバレ感想をこれから書き連ねたいと思います。
本当に長いです。凄くネタバレです。
以上の事を加味してご興味のある方は読み進めていただければ幸いです。


まず『暁乃刻』のあらすじ

 

単独でのミッション中に敵に拘束されてしまう白崎護。激しい暴行を受け、死を覚悟した瞬間に、突然暴漢達が突然互いの頭を撃ち抜き彼は一命を取り留めます。

しかし、白崎が拘束されていた間メサイアである悠里淮斗が突然失踪。悠里の失踪の理由が分からぬまま、言い渡される白崎の卒業ミッション。時を同じくしてチャーチのシステムが”ネクロマンサー”と呼ばれる高度に発達した人工知能にハッキングされ乗っ取りを受けます。
悠里の失踪と”ネクロマンサー”の開発には加々美のおじであり北方連合のスパイであるチェーカーと公安五係長の一嶋が関わっていました。秘密裏にチェーカーと手を組んでいたDr.TENの手によりチャーチのサーバーを遮断され、行き所を失った”ネクロマンサー”はその依り代になるべく、チェーカーによって脳内にマイクロチップを埋め込まれていた加々美の身体を乗っ取り、北方連合の手に渡ってしまいます。
悠里の失踪の真実を知った白崎は”ネクロマンサー”の無力化。即ち加々美の殺害と事態の収束の為、加々美のメサイアである有賀と後輩たちと共にチェーカー達の元へむかうこととなるのです…


白崎と悠里の選んだ道

〜彼らのメサイアの形と生き様〜

 

白崎と悠里の話に関しては、彼らがサクラになるまでを描いた『紫微ノ章』と今回の『暁乃刻』での


「生ける屍と化した意思を持たぬ兵士(『紫微ノ章』ではG、『暁乃刻』ではスペクター)が遠隔操作で、白崎の周りを制圧し、危機に陥れる。
それを目にした悠里が白崎を守る為に一歩踏み出して行動を起こす。」


というとてもよく似た符合点が挙げられます。
意図的に内容をなぞっているのかは解りませんが、『紫微ノ章』で引き籠りだった悠里は白崎を助ける為に踏み出して、外の世界に出ます。
そして『暁乃刻』では「白崎を助ける為に高度に発達した人工知能ネクロマンサーと自分の脳を融合させる。」という白崎を守る為の自分の命を賭した究極の選択に踏み出すのです。

結果として悠里は高度な人工知能として存在することとなります。
サクラはメサイアであってもチャーチを卒業すれば離れ離れにならなくてはいけない。前作の舞台作品『鋼ノ章』で「護と離れたくない。」と取り乱しながら有賀に訴えていた悠里。人工知能となった悠里は電脳の依り代があれば、2 度と白崎と離れずに側で彼を守ることができます。ある種悠里の最も望んでいた、究極のメサイアの形かもしれません。

 

しかし、裏を返せば人間の姿をした”悠里淮斗”としては 2 度と白崎に会うことが出来ない。生きていると言えば生きているけれど、肉体的には完全に死んでいる訳です。 いつか訪れるであろう「零杯ノ日」にも彼らはどんなにそばにいても実体として出会うことは出来ないのです。

今回パンフレットの冒頭で脚本家の毛利さんが「魂はどこにあるのだろうか。」という命題を示していますが、そもそも『人工知能となった悠里は果たして悠里淮斗と言えるのだろうか』という哲学的な命題にも行きつきます。

 

それでも白崎は言います。
「俺がここにいるってことは、お前がそこにいるってことだ。」
白崎が悠里の存在を承認すれば、共に生きた証を持っているならば、その存在は実体でも人工知能でも悠里であると言うこと。

 

こんなにも「メリーバッドエンド」と言う造語がしっくり来る関係性と話があっただろうか…
と最初に観劇をした後の私は驚愕しました。

悠里と白崎の究極のメサイアとしての選択であり、
その選択は彼らの関係も生き様をも示しているようでもあり、

最後に悠里を象徴する電脳のマッピングが白崎に取り込まれ、清々しい表情の白崎が走り出すと同時に暗転するラストの演出が、光とも闇とも取れぬ彼らの行く末を暗示しているようでとても印象的でした。

「一緒に暁を見に行こう。」

の最後の白崎の台詞の通り、彼らの選んだ生きる道が暁の前の暗い闇を超えて光射すことを願ってやみません。

 



有賀と2人のメサイア

〜間宮との誓いといつきの願い〜

もう一方のメサイアである有賀と加々美。有賀が加々美の「下の名前を呼べない」という点以外は至って良好。
有賀は加々美を始めとして白崎や後輩たちの小さな変化にも気づき、常に気にかけてますし、加々美も加々美で様々なシーンで有賀への感謝や信頼を滲ませています。

…とここまで書くと非常に良い関係のメサイアに見えますが、
彼らの関係性に関しては有賀の元メサイア間宮の存在無しにしては成り立たないある種の大きなジレンマを抱えていると思うのです。

前作のシリーズまで見ていた方は解ると思うのですが、元々有賀は感情を持たない完全無欠の殺人機械の様な人間でした。
そんな殺人機械から人間へと成長した背景には元メサイア間宮の存在が大きくあります。
有賀が機械から人間に戻ったきっかけであり、人間になった先の人生全てを構成していたと言っても過言ではない存在。
しかし、有賀はメサイアになる前から救い人であった大切な相手を手にかけねばいけなくなってしまった。
有賀の加々美に対する行動の根底には全て間宮に対する意識が見え隠れします。
もっと言えばいつきの向こうに有賀は間宮を見ています。
当然、聡い加々美はそれに気づいている。信頼はしているけど、そんな有賀の態度に対して若干の苛立ちも感じている。そんな加々美が間宮と別の形で関係を進める行為が「下の名前で呼んで欲しい。」と言う願いだったのではと思うのです。

劇中の恐らく有賀一番の見せ場である加々美奪還シーン。
間宮のメサイアとして彼との誓いを口にし、しかし、それ故に弱くなった己を嘆き、加々美のメサイアとして名前を呼ぶ約束を果たす有賀。
その 2 人に対する行為が1つのシーンで並行して出てきた時、有賀の全てがやっと繋がった気がします。 


https://m.youtube.com/watch?v=39ReWB_2ZAA
昨年のイベントで上演されたプロローグの抜粋動画ですが、間宮に対する有賀の「誓い」と「弱くなってしまった」一端はここの後半のパートにほぼほぼ集約されていると思います。
恐らく間宮に手を下していなかったら。
先に手を下したメサイアが間宮以外だったら。
有賀は加々美に容赦なく手を下せていたのではないかと思うのです。


「愛故に人を憎み、愛故に人を殺す。」
間宮・加々美と有賀を示すような台詞を加々美に言わせたのも ( 正確にはネクロマンサーですが。 ) 何とも言えない気になりました。

ここのメサイアの関係性は正直色々な考え方の方がいると思いますし、どの立場に重きを置くかで意見や解釈が変わると思うのですが、
私は有賀にとっては間宮も加々美も大切なメサイアであってほしいので、
間宮の存在を踏み台にしていつきと進むでも、
有賀の中に生きる間宮にいつきが囚われるでもなく
間宮の存在を背負い、抱えたまま、いつきと向き合って、並んで有賀には歩いて欲しい。
願わくばどちらかを切り離すのではなく、3人共に報われる道が拓けて欲しいと私はずっと思っています。



戦友としての白崎と有賀

〜後輩サクラの歩む道〜

 
後輩サクラの歩んできた道のりを示すのに象徴的なのは

劇中での”チャーチ鉄の掟”の使い方

ではないかと私は思っています。


”チャーチ鉄の掟”をサクラ候補生が口にする時。
それは即ちメサイアの絆が結ばれる時。


翡翠ノ章』では珀と鋭利が卒業する時に、後輩達がこの掟を唱和し、
彼らは後輩たちに見送られて華々しく卒業していきます。
これからもこの掟の下に繋がる絆を確認する様に。

 

その見送った後輩のサクラ達がその”鉄の掟”を口にする時も当然メサイアとしての絆が結ばれる時です。


『鋼ノ章』では戻れぬ道を歩んだ間宮が全て手遅れになってしまった先に有賀の真の想いを知り、「君が俺を殺してくれ」と有賀に懇願し、間宮に対して有賀が銃を向けるとき。


『暁乃刻』ではネクロマンサーに取り込まれた悠里の存在を呼び起こすため、過去の共に過ごしたデータをネクロマンサーに送り込みながら白崎が呼びかける時。 


いずれも後輩サクラたちの絆が結ばれるのは相手の“死”に向き合う時であり、彼らのある種永遠の絆と離別を意味しています。

有賀は今は加々美と言う大事なメサイアがいますし、悠里も決して消滅した訳ではありません。
しかし、彼らは形や状況は違えども、互いの大切な半身を失っているです。

 


サクラになる前は白崎は公安として光の下を歩んできたヒーローだとすれば、
有賀は暗殺者として闇を暗躍するダークヒーロー。
サクラになる手前に歩んできた道は正反対。
でも進む道やベクトルが最終的には一緒。一番近くで互いの道のりを、痛みや苦しみを見てきて、1番知っている相手。
彼らは、メサイアとは違ういわば「戦友」のような関係性だと思っています。
ラストでチャーチを1人後にした白崎に対し、有賀が「また、いつか」と自分のハンドガンを渡し、それに対して「必ず」と自分のハンドガンと共に言葉を返す白崎のシーンを観て胸が熱くなりました。
今回の白崎の卒業には先輩達の様に華々しく、ある種祝福されたムードはありませんでした。
しかし、この有賀と白崎の短いやりとりに、互いの熱い信頼や、本来は持ってはいけないとされる友情、何より有賀と白崎の築いてきた関係性が全て集約されていた気がします。


登場人物達の謎と彼等が歩む茨の道

 

夏の今回の舞台を埋める新作映画
そして、東京公演終了後秋口の新作も発表されました。

有賀と加々美の恐らく卒業ミッション。
しかし、今回の展開を見るにつけ恐らく一筋縄ではいかないでしょう。
特にやはり、ここのメサイアの関係には、重ね重ねもう1人のメサイアの存在を無視する訳にはいかない気がするのです。
「間宮がまだ生きていると思うのか」
と有賀に問う加々美の真意も気になるところ。

実際まだまだ今回登場したキャラクターも多くの謎を残して終わりました。
一嶋係長を気にする新サクラ候補生の橋本真一くん演じる小暮洵や、
今回出てきた山田ジェームズ武くん演じる”サリュート”の他にイベントの時には”キヨスク”と言うコードネームの北方連合スパイも出てきましたがまだこちらの方は舞台には出てきていません。

 

後輩サクラの歩む道は先に卒業していった先輩サクラ以上に

これまでも、これからもどうしようもない位の茨道であるように感じます。

彼等の紡いできた物語は恐らく話の展開上としては最善の選択。
しかし、その結末は、彼等のその選択は果たして幸福なのか。不幸なのか。
正直何度観てもきっと答えは出ないでしょう。

 

私は我々の想像の余地が残された余白ある舞台作品は魅力的だと私は思っています。
答えの出ない仄暗い余白。
その先にあるのはより深い闇なのか。
それとも微かな光なのか。

これこそ私を捉えてやまないメサイアの魅力なんだと思うのです。

後輩のサクラたちが歩む茨の道の行く末を、その上に成る生き様を。
この先も刻み付けながら「メサイア」シリーズを見守り続けたいと思います。