メサイア〜黎明乃刻〜の話
今更になってしまいましたが『メサイア~黎明乃刻~』の感想を。
”刻シリーズ最終章”と銘打ってありましたが、毎回人間関係が自作に跨ぐような伏線の貼り方をするのに今回はそれが無かったこと、最後の過去の卒業生たちの映像、そしてこの作品の根幹であった「ワールドリフォーミング」という概念の撤廃。
これらが劇場で突き付けられた時
「嗚呼。シリーズの集大成だ。本当にここで幕を下ろすのだな」
と私は客席で思いました。
しかし、集大成に相応しい素晴らしい作品でした。大きな感謝を胸に感想をつらつらと書き連ねていこうと思います。
雛森と園と小暮
今回のメインの3人。この3人の関係は、冒頭で
「……メサイア……か……」
と雛森が園の銃を取り出し思いを馳せていたものが、舞台最後同じ銃を雛森が同じように取り出した時に、全てを察して、受け止めて小暮がその銃を握る。
この行動に集約されていると思います。
きっとそこまで、雛森と園も雛森と小暮もある種メサイアであり、同時に本当の意味ではメサイアでは無かったのかもしれません。彼らの”メサイア”としての真の夜明け。タイトルの通り"黎明乃刻"だったのだと思います。
今回一番私が感情移入したのは小暮でした。小暮の出自は確かに特殊です。一嶋のクローンであり「親もいなければ、帰る場所もない」かもしれない。しかし、そう言ったことに関係なく「誰かの何者かになりたい」「自分の存在を認めて欲しい」という感情は誰しも抱いているものだと思います。雛森にぶつけ続ける小暮。雛森に認めて欲しかった。雛森にとっての何者かでありたかった。決して雛森がその感情に対してフィードバックが無かったわけではない。けれども、もしかしたら小暮に対する感情の向こうに薄々園の存在を感じていたのかもしれない。しかし、"何も無い"小暮が気付き(静寂の中の自分の心を吐露する独白シーンは本当に素晴らしかったですね)求める側から与える側になった時。雛森の過去も園の存在も全て認められる強さを持った雛森のメサイアとしての黎明を迎えたのだと思うのです。
園の考えは月詠の頃から一貫していて
「強き者は弱き者の上に立ち正しい道へと導かねばならない」
と言うもの、月詠乃刻で照る日の杜に北方連合として関与していた時も、チャーチに戻りヒガンバナと真木光を葬った時も一貫して変わっていません。
メサイアは決して勧善懲悪の物語ではありません。それぞれの立場と考えがある。しかし、倒れるのはその時代、そしてその先の時代に必要とされなかった。園は敵でありながらも、不思議とヒーローのような空気感も醸し出しています。彼は彼なりに真の世界の平和と統一を目指し一貫した意図を持ってシリーズ通して存在したからなのでしょう。
月詠は当時出演予定だった、青木さんに演じて欲しい園を作っていたのだと思いますが、黄昏と黎明は村上さんに演じて欲しい園の形だったのだと思いますし、正直あの雛森を愛し、雛森に愛され、最後まで真の通った愛情深く強き園像は村上さんでなければ作り上げることが出来なかったと思います。
同時に青木さんが園を演じていたらどうなっていたかな……とは思います。多分黎明が始まる前に大多数が予想していたと思われる定石通り雛森が小暮を奪還するような構図になったのではないかな……
そんな2人の間で揺れ続ける雛森も一慶くんの演技がめちゃくちゃ素晴らしかったと思います。園も小暮も雛森に取ってはどちらも大切な人間。正直雛森は人間関係の距離感の取り方がとても極端だと思うのです。興味が無い相手には容赦無いし、生きようと死のうと関係ない。しかし、自分の懐に入った人間に対しては驚くほどの甘さと脆弱さを見せる。でもそれが、雛森の最大の弱さであり最大の人間らしさだと思うのです。月詠の頃黒子が雛森に言った通り結果として雛森が小暮を救うのではなく小暮が雛森を救う存在になりました。雛森の全てを受け入れた小暮と歩む未来を正直もっと見てみたかった気がします。
万夜とレネと小太郎
鋼以降メサイアの関係が強固な2人の関係から、事情があって3人の関係になるパターンが増えてきました。それぞれ形は違えど強固か関係があり、特にメサイアが散ると言う話になると強固な絆が根本から覆されるので、恐らくこれは多分演じる方も見る方もなかなかストレスなのだと思います。正直万夜にとってのレネも明らかにそういった存在でした。でも、他のメサイアが散ったサクラと決定的に違うのはレネは真正面から万夜にぶつかり、最終的に小太郎と自分では勝負にならないと負けを認めます。(勝ち負けではないのかもしれませんが)
万夜の御神体としての霊的能力。ご都合主義だとか言う人がいるかもしれないですが、あの能力はとても便利だし同時にとても色々な人を救ってきました。そして最後はその力が万夜自身を救ったのです。
だってほら!
小太郎が良いって言うんじゃ! レネがメサイアで良いよね!!
としか言わざるを得ないじゃないですか(笑)
ちなみにレネという言葉には
「生まれ変わり・再生」
という意味があるそうなんで、当初出演が発表された時は小太郎の生まれ変わりかな? などと思っていましたが、レネの場合は万夜をある種再生させたのかなと思います。
ある意味万夜とレネと小太郎の関係は3人メサイアの関係になった中では最も幸せかもしれないですね。
ちなみに余談ですが、大千秋楽の日に小太郎を演じていた山沖さんが劇場に来ていたため、レネが最後に「お前らのこと守ってやるよ」と言い、それを受けて万夜が「……だってさ!」と自分の中の小太郎に語りかけるシーンが2人とも山沖さんの方を向かって台詞言いながら指差してたのがたまらなかったですね。本当に3人でメサイアでしたよ。フォーエバー。
ラスールと要
実は大楽で一番胸に来たのがラスールだったのです。東京・大阪と凱旋ではかなりラスール演技を変えてきていて、その中でも真生光を撃つ時に声を詰まらせるラスールの向こうに彼の様々な想いを見た気がして涙が出てきました。きっとラスールは沢山のことを真生光に教わったのだろう。彼にとっては真生光はかけがえの無い大事な存在だったのだろう。それ故に壊れて行く真生光が……耐えられなかったのだろう……本当は手にかけたくない。真生光を撃つ瞬間に顔を背けるラスール。大切な人を手にかける人苦しみと消えない業。その全てをあの短い時間の中で全て見せてくれた気がします。
対する要は淡々としていて、どちらかと言うと戦闘狂に近い透けて見える狂気が素晴らしかったです。
メサイアではないけれど狛犬の様な立ち位置で常に対象的に配置されていたのも印象的でした。(OPのラスールは公演進むとそれを意識してか銃を持つ手が最初と反対になってましたね)
正直要とラスールの話はもっと見てみたかった気がします。
最後を彩るのが刻シリーズの卒業生と言うのも最早涙しかありませんでした。存在する護・有賀・いつきの3人は勿論、淮斗に呼びかけるシーンがあったり、間宮を屠ったリベレーターを出すシーンがあったり、途中退場した卒業生もしっかり魅せる製作陣に本当に下を巻きました。
(ワールドリフォーミングは撤廃される為に結ばれた偽りの条約と聞いたら間宮は悲しむのかな……などと思っていたのですが、このEDを見て払拭されたのは私の個人的余談です)
正直今回の幕引きは制作陣としても不本意なものだったのだろうな……と大千秋楽の演出の西森さん、脚本の毛利さんの話を伺っていて思いました。恐らくのっぴきならない何かしらの事情があったのだろうと言う憶測は真実は分からないにしても様々な要素から予想はつきます。恐らく追加で出た凱旋公演等も割とギリギリのスケジュールで決まったのだろうと推測してしまいます。
それでも、最後まで素晴らしい作品を作って作品を愛し続けてくれた関係スタッフの方々には感謝しかありません。
メサイアと言うメディアミックスシリーズに出会って約4年半本当に楽しかったし、本当に幸せでした。これから先も自分にとってはかけがえの無い作品として君臨していくのだと思います。
いつか闇に沈む彼らに見えるその日まで一嶋係長が最後に言った
「生きてください」
の言葉を胸に刻み進もうと思います。