少し長く勤めてみて思うこと。
気づくと4月。気づくと10年。
気づくといつの間にか4月になってました。
電車に乗るとまだスーツに着られているようなフレッシュマンが沢山。
自分の職場にも新人さんが来ましたが
この時期になると
「頑張れ!新人さん!」
と思うと同時に
自分の新人時代を思い出して身が引き締まる思いがします。
そして、いつまでも自分も若手の未熟なフレッシュマンのつもりでいたら、
気づくと永年勤続で感謝状を渡される位まできてしまいました(笑)
まさか自分がこんなところまで来るとは入った時は想像だにしていませんでした。
これからも長く続くと思われる社会人生活。仕事に関して考える良い機会だと思います。
仕事が出来る人ってなんだろう
仕事をしていて
「仕事頑張ってるね」
と言われるとちょっとモヤッとする自分がいます。
相手は褒めたり、労いのつもりで言ってくれているのは分かるのですが、
「頑張っている。」
と気取られるうちはまだまだ未熟なのだと思ってしまうのです。
仕事の内容に寄ってもまちまちだとは思いますが、
本来仕事が出来る人と言うのは 良い意味で
「自分がいなくても滞りなく仕事が回る環境を整えている」人だと私は思うのです。
以前上司に
「お前は人に対する負い目で仕事をしている。
仕事を自分で抱え込んでしまうのは、自分の怠慢だ。
人に教えるより、自分でやってしまう方が早いに決まっている。
仕事は増えることはあっても、減ることはないのだから、
後が楽になるように、万が一いなくなっても誰かが出来るように、もう少し周りに自分の仕事を周知させる努力をしろ。」
と言われたことがあります。
自分は仕事を大したことをしていないから、自分の仕事を人にして貰うのは悪い。
自分が部署の人に迷惑をかけてはいけない。
と言う気持ちでずっと仕事をしていたので、正直これを言われた時は目から鱗が落ちました。
私は仕事を「これで良いのかなあ。良かったのかなあ。」とずーっと自問自答しながらやってきた気がします。
今でもやれることは増えてきたものの
自信は無いですし、この自問自答は続いています。
でも、負い目を感じることは無いのだろうな。
とその上司の一言で少し仕事に対する見方は変わってきた気がします。
10年って長いようで短くて、でもそれなりに遠くまで歩いてきたような不思議な長さです。
仕事に関するスタンスも人それぞれでしょう。
選んだ仕事にも、自分の仕事ぶりにも自信がなく、だからと言って転職する勇気も環境を変える勇気もない。
本当にひたすら上司の言うように負い目で仕事をしてきた気がします。
改めて仕事に対しての取り組み方を考え直す良い機会だと思うと同時に、
自信が無くても。いつも右往左往していても。そこまで積み上げてきたことも事実。その積み上がりが嘘じゃないようにしたいなあ。
と思う今日この頃です。
【ネタバレ観劇感想】ミュージカル『さよならソルシエ』
評判は聞いていたのですが「さよならソルシエ」素晴らしかったです…!
大変お恥ずかしながら、
今回漫画の原作も読まず、初演も拝見したわけでもなく
「評判も良いし、主演二人の演技が見たい。」
という理由でチケットを取ったのですが、
舞台の雰囲気も、キャラクターも、曲も内容も魅力的で、
非常に自分の水に合う素敵な作品に出会えたな…!
と感慨を噛み締めております。
『さよならソルシエ』あらすじ
まず以下あらすじを舞台の公式のHPから引用させて戴きます。
舞台は19世紀末のパリ。のちの天才画家フィンセント・ファン・ゴッホとその弟で、画壇界を席巻する天才画商のテオドルス・ファン・ゴッホ。
兄と弟、二人のゴッホの確執と宿命、そして絆を描いた奇跡と感動の物語。
生前、1枚しか売れなかったゴッホが、なぜ現代では炎の画家として世界的に有名になったのか…。その陰には実の弟・テオの奇抜な策略と野望があった!
原作は穂積先生が描かれた同タイトルの漫画。
2014年の「このマンガがすごい!」
の中でも選ばれています。
「実はフィンセント・ファン・ゴッホの生涯は、兄の才能を世に広める為に、弟のテオドルス・ファン・ゴッホが捏造したものだった。」
と言う斬新な切り口。
そして、この『さよならソルシエ』で描かれるフィンセント・ファン・ゴッホは簡単に言うと世間的にイメージされる天才画家ゴッホのイメージとは真逆のキャラクターに設定されています。
この記事を読んでくださる方に
漫画を読んだ方も、初演を観た方もいらっしゃると思うのですが、
重ね重ね、全く初演も漫画も触れておらず、予備知識が無い状態で再演を観た者の感想だと思って読んで戴けると幸いです。
才ある2人の兄弟の愛情の物語
フィンセントは画家として、
テオドルスは画商として、
互いに見事な才能を持っており、
彼らは兄弟として互いの才能を尊敬しているし、互いを愛しています。
しかし、少々テオドルスとフィンセントの互いの尊敬と愛情の方向性は異なっている気がします。
万物を美しく尊く思い、世界の全てのものへの広い愛情の中で少し特別な色を持つのがフィンセントのテオドルスに対する愛情。
しかし、テオドルスは他の者への愛情も持ち合わせていますが、フィンセントに対する愛情は唯一のものであり、同時に一括りでは括れない位複雑に入り組んでいる気がします。
「画家になりたい」と言う夢を捨てざるを得ない位の兄の絵画に対する才能への嫉妬。
同時に兄の絵画に対する恋愛にも近い感情。
誰よりも兄の才能を愛していたからこそ、才能に頓着の無い兄に対する憎悪。
そして…才能すら関係のない次元での兄に対する愛情。
最初はテオドルスは兄に対して嫉妬をしているのか、兄の才能に対して嫉妬をしているのか解りませんでした。
でもそれはもしかしたら両方だったのではないか…と私は思ってしまいます。
曲解かもしれませんが、テオは兄の美しい世界の中の特別な存在になりたかった様にも感じます。
世界の全てを美しいと感じる兄に”兄弟”という関係性があっても特別に映ることはさしてない。だからこそ、兄の目の前で死のうとした。
「兄の才能をここで潰す位なら自分が死ぬ。」と言うのも最もですが、兄の目の前で死ねばテオドルスは兄の特別な存在になれる。
テオドルスを見ていると
「愛憎」と言う言葉を思い出します。
愛するが故に。
愛し過ぎるが故に
憎い。
恐らく1番強過ぎる愛情。
テオドルスはそれくらいフィンセントの才能もフィンセント自身も深く愛していたのではないかと思うのです。
フィンセントの前でテオドルスが死のうとした一件でフィンセントは己の才能を、価値を、使命を自覚すると同時に、テオドルスに対する愛情は彼の広い愛情の中での色も褪せることが無い位濃い特別なものになった気がしますし、最終的にフィンセントはテオドルスの方向を向き彼の愛情に報う形になります。
しかし、双方の愛情が同じ方向を向いた瞬間はいささか遅かったし、交わる瞬間は本当に短かった。
フィンセントがテオドルスへの想いを綴った最期の手紙を、テオドルスが読むシーンは涙が止まりませんでした。
生ピアノと美しい光で紡がれる芸術の世界
ミュージカルと言えど、カラオケでもオーケストラでも無く生ピアノの伴奏だけで紡がれる音楽で出演俳優さんが歌う。
出演者のインタビューでも描かれていたのですが、ピアノだけで歌い上げてミュージカルを構成すると言うのはとても難しいことは想像に難くありません。
とにかく音が薄いから誤魔化しがきかない。
しかし、そんなことを全く感じさせない主演の良知さんと平野さんの歌唱力の高さに本当に驚きました。
良知さんは歌が上手いのは知っていたのですが、平野さんの歌の上手さよ…!
元々声が良いとは思ってましたが、歌も伸びが良いし聞き取りやすいし…
実は舞台で色々な役は拝見していたのですけど、歌う平野さんはお初で。
「こんなに多才で良いのか!?」
と観ながら思ってしまいました(笑)
演技も言わずもがな両者ともとても素晴らしかったです。
良知さんのテオドルスは賢く素晴らしい慧眼を持つ少し異端なエリート。帽子さばきや、シュっとした佇まいがとても素敵なのですが、兄に対しての様々な感情の見せ方がとにかく上手い。
そして、平野さんのフィンセントも全ての事象に身を委ね、任せ、余り自発的に動こうとしないが、おっとりかつ不思議な雰囲気と空気感の醸し方がとにかく上手い。
脇を固める俳優の方々も実力のある方々ばかりでしたし、
同時に照明の使い方やマッピングの使い方がとにかく美しくて…
西田さんの演出作品は初めて拝見したのですが、別の舞台作品もとても観てみたくなりました。
美しく紡がれるピアノの旋律に乗せて、素晴らしい歌と、演技と、空間の中に作り上げられる全てが芸術作品の様な舞台。
その美しい空間と美しい話にひたすら涙が零れました。
再演は今の所配信はあれど、DVD化の予定はないようなのですが。
初演はDVD化されています。
また、1つとても素晴らしい作品に出会えたことに感謝しかありません。
是非また再再演をして欲しいなあ…。
色々な人にあの美しい世界を目にして欲しいなあ…。
と身勝手にも思ってしまう様な本当に素敵な作品でした。
【ネタバレ観劇感想】ミュージカル刀剣乱舞 〜三百年の子守唄〜
刀剣乱舞のミュージカル
いわゆる「刀ミュ」
先日初参戦して参りました。
トライアル公演は映像で拝見していたのですが、初めて生で観て非常に楽しませて戴きました。
以下本編とライブの感想を述べさせて頂きます。
1部ミュージカルパート感想
まずは本編。
今回の刀ミュは徳川家康の一生を追う物語。徳川家康って有名な割に意外に歴史物で取り扱われない印象。
刀ステも含めて他の作品で取り扱われているのが、源義経や織田信長、そして今度の刀ステの新作は伊達政宗と歴史上で華がある人物が多い印象なのですが、
本編中でも少し触れられていますが、徳川家康ってちょっと地味なんでしょうね。
でも、敢えてそこを題材にしたこと。
また、時間遡行軍によって家臣を殺され歴史が変えられてしまった為、それを修正するため刀剣男子達が徳川の家臣となり奔走し、徳川家康の一生に寄り添うという内容の着眼点も非常に面白いと思いました。
ただ、本編に関して1番の見せ場と泣き所である部分の話は行動に関してはよく解るのですが、そこに至るまでの感情の裏打ちをもう少しその前に伏線があったり、話を膨らませても良かったというか、尺を取っても良かったのではないかなあ。
と個人的に思います。
あと、プロジェクジョンマッピングが凄いというのが恐らく刀ミュのポイントの1つなんだと思いますが、
その分演技以外のプロジェクションマッピングに目がいきすぎてしまい、マッピングがうるさいと思ってしまうのと、セットが殺風景なのが寂しいな…と思ってしまう。
私がプロジェクションマッピングを使う舞台に慣れていないのがあると思うのですが(笑)
この辺りは完全に個人の好みの問題ですね。
刀剣男子は時間遡行軍を倒すというだけではなく、「歴史をあるべき姿に戻す。」というのが使命なんだなと再認識した舞台でした。
本編を観終わった後『三百年の子守唄』というタイトルに改めて思いを馳せてしまいます。
2部ライブパート感想
2部のライブパート。
いや、これが。本当
めっっちゃ楽しかったです!!
トライアル公演観た時
「二次創作でありがちな…ドルパロ…!?」
とか思っていたのですが、
実物のアイドルしてる刀剣男子を見ると衣装は可愛いし、皆歌も歌えるし。
次元が解らなくなる位アイドルでした(笑)
あと、想像以上に客席降りとファンサが凄くて、凄いペンライト振りながら客席がキャーキャー言うのが新鮮でした(笑)
まさに「お祭り」と言った感じでとても楽しかったです!
そして重ね重ね刀剣男子可愛い過ぎか…!
凄い皆可愛くて、改めてキャストの皆さんの力を思い知った気分です。
確かライブを少し前にやっていたけど、これは確かにライブだけでも楽しいですね。
こちらは個人について書かせて戴きます。
石切丸/崎山 つばさ
いや、流石初演から出ているだけあってこなれている…
ファンサも1番こなれている…
自分のうちわをお客さんから取って
「払いたまえ、清めたまえ」
ってやってるの見た時
『…神かよ…!』
と思いました(笑)
歌声はとても柔らかくてマイルド。
崎山さんはデビミュの初演のウリエで凄いマイルドボイスだなあ。
と思って聴いていたんですが、生でもそれは健在でした!
にっかり青江/荒木 宏文
荒木くんの青江は最早「青江様」でした。
なんだ香り立つあの色気は…
そして立ち姿が美しくて麗しい。
二部の着込んでいる衣装が非常に私のツボでして、
元々荒木くんはこちらの世界に入ってきた時から拝見させて戴いてるので、
また舞台上でお会い出来るのが嬉しいし、最早その美しさにひれ伏すしかありませんでした(笑)
物吉貞宗 /横田 龍儀
とにかくめっっちゃ可愛い。
衣装も帽子も可愛い。
ブログで「歌も踊りも苦手で…」とおっしゃってたんですが、
そのちょっと洗練されてなくて、凄い頑張っている感じが逆に可愛い!!
1番アイドルっぽかった気がします。
あの可愛らしさと笑顔に主は撃ち抜かれてしまいますよ。
今後活躍して行って欲しいなあ…と見ていて思いました。
蜻蛉切/spi
劇中で歌を聴いた時「何だこの歌の上手さは!!」と二度見してしまう位の歌の上手さと発声の良さ。
後でパンフレットで知ったのですが、元々ボーイソプラノとして歌われていたり、歌をメインに活躍されている方だったんですね…
とにかく歌が上手かったです!
2部のソロ曲が半端なく格好良かった…
村正ファミリーは完全に歌とお色気要員ですが、普段良い身体を露わにしてる蜻蛉切さんが着込んでいるのが逆に萌えました。
千子村正/太田 基裕
今回は彼目当てと言っても過言ではないのですが…
ゲームの村正とは少し方向性の違う怪しさというか…”妖艶”と言う言葉がぴったり。
キャラクターは男性的ですけど、仕草が女性的な色っぽさや艶っぽさが詰め込まれてとにかくエロい(笑)歩く姿は百合の花です。美女です。
2部の衣装はニーソじゃないのかよ!!!
と思いましたが、着込んでる時は蜻蛉切同様その禁欲的な感じが逆にそそります(笑)
歌は聞けば聞くほど上手くなって素晴らしいなあ…と思います。
大倶利伽羅/財木 琢磨
財木くんは今後これは伸び代しかない…伸びる…!!
と勝手に上から目線で思いました(笑)
歌も台詞回しも個人的に好みだったのですが、とにかく私は彼の立ち姿のシルエットが好きで…
特に2部衣装。衣装のデザインも好みだったのですが、アイドル衣装着てる倶利伽羅可愛い!
しかも、なんだかアイドル慣れてないような馴れ合うつもりはないけど客席にデレてしまう倶利伽羅らしい感じの優しさあるファンサも可愛い!!
以上刀ミュ初体験な刀ミュのレポートなのでした。
4月にもう一度行くのですが、次はちゃんとうちわと正規品のペンライト持って行くぞー!
好きを好きだと言うこと、何かを応援すると言うこと
少し前に知り合い数人と飲んでいた時に
「2.5次元が嫌いだ。」
とド直球で否定されたことがあります。
本人は生粋のジャニヲタなんですが、過去に自担が辞めジャニをして俳優になったらしく、その結果2.5次元の舞台に立ち始めたことが、ジャニヲタではあるけど普通の2次元のヲタに恐らく偏見がある彼女は気にくわなかったらしいのです。
(ちょっと興味があって出演作品を調べてみたのですが、原作付きではあるけど2.5次元かと言われるとボーダーな所かなあと言う感じでした。2.5次元をどこから2.5次元に括るのかは難しい所だと思いますが…
『正直そこは逆恨みだろ!』と内心思ったのも事実です。)
加えて話を聞くとそれはそれは自担に莫大な額を注ぎ込んでいたらしく、会社の名刺などもプレゼントと一緒に入れる手紙の中に入れていた話も聞いて
「凄いなあ…!」
と驚いたのを覚えています。
人によって人や物を応援するスタンスはそれぞれ。
彼女の応援の仕方はそれはそれで1つの形。
私も、いわゆる推しの方はいますが、どちらかと言うと見ていられるだけで充分だし、他のファンの方への自分の中での負い目や恥じらいもあるので、彼女みたいな応援の仕方は出来ないかなあ。
と思っています。
ただ、最近
「見ているだけ。」
から、この私のブログのタイトルでもあるのですが、
「好きなものや感動したものには、
目一杯『好き!』『凄い!』」
と伝えるように心掛けています。
そういう考えに至った経緯を少しお話しようと思います。
「誰かを・何かを応援する。」を自分なりに考える。
突然ですが、高木ユーナ先生の描かれている『ドルメンX』と言う漫画が好きです。
あらすじを端的に説明をすると
「地球征服の為、地球人に地球を穏便に”お譲り”して戴く為にはアイドルになって売れて大人気になれば良いんじゃない!?」
という発想で見た目しか良くない宇宙人のメンズ4人とアドバイザー的なドルヲタガール1人が超人気アイドルになる為、もがきながら奮闘する話。
あらすじだけ読むと突拍子もないギャグ漫画に見えると思います。
ツイッターで登場人物の1人ドルヲタガールのヨイちゃんの台詞
「イケメンって物理じゃなくて概念だから。」
というパワーワードに頭を殴られた衝撃と電撃を感じて単行本を購入しました。
作中にテニミュを意識した”リキミュ”という架空の2.5次元ミュージカルや、若手俳優さんのイベントの話が出てきたり、カノバレや炎上の話があったり、実在の俳優さんである佐藤流司さんや黒羽麻璃央さんがゲストとして登場したり。
実際に読んでみるとアイドルより、若手俳優さん寄りの内容で、読めば読むほどとてもリアル。
しかも、俳優側のリアルさだけではなく、追いかける側のリアルさもあり、両方の側面から話を描いているのが非常に面白いです。
丁度自分が若手俳優さんが出演している舞台に通い始めた頃に手に取ったので、「ファンとはなんたるか」を改めて考えるきっかけになった作品であり、漫画作品としても好きですが、追っかけをするに辺りバイブルになっている様な作品です。
さて前置きが随分長くなりました。
この『ドルメンX』の作中で、主人公である”隊長”が駆けだしの頃に初めてファンレターをくれたファンの子が、単独ライブをグループでした時にグループの別の子のファンに推し変していて落ち込む…と言うくだりがありました。そちらを抜粋したのが原作者の高木先生の以下のツイート。
オススメしていただき、ありがとうございます…!クチコミめちゃくちゃ助かります…泣
— 高木ユーナ「ドルメンX③発売」 (@takagi1015) 2017年2月10日
『ドルメンX』の取材をしてて知ったこと。ファンが推しの頑張りをちゃんと見ているように、推しもファンの頑張りをちゃんと見ている。 pic.twitter.com/OiyQYMF7yQ
…これを読んで目から鱗が落ちました。
私の中に完全にこの発想は欠けていた…
私はヨイちゃんと同じ「自分みたいな片隅のファン一人いなくなっても変わらないでしょ。」
と思っていました。
でも、確かに。私普段サービス業に従事してるのですが、凄い褒めてくれたり、良い意味で名前覚えてくれたお客様は覚えてます。何度か来れば絶対覚えます。
(逆に凄い酷いこと言われても物凄くよく覚えてるのですが…)
俳優さんやアイドルってある種究極のサービス業だと思うので、自分の体験と、この『ドルメンX』の内容を照らし合わせて、
「自分が応援している積み重ねも見られている可能性がある。」
ということに気付かされたのでした。
ちなみに私はずっと漫画が好きで、漫画ばかり読んでいるのですが、
俳優さんと同様の理由であまりずっと声は出さずに「読めるだけで充分」と思っていました。
しかし、SNSが発展した昨今ツイッターで出版社の方が以下の様な内容を呟かれており、
出版社に紙のファンレターを出すというのは、凄まじい効果が有ります
社内で行われる様々な会議でも、圧倒的な存在感と効力を示すのです
メールやツイッターが弾丸一発の威力だとすれば、紙のファンレターは核兵器レベルの力を発揮します
文字通り格が違います@tamazonnnoamaraさんのツイートより
しかも、一人ではなく複数。
改めて”ファンレター”というものの威力の大きさを知った気分でした。
この事実を知ってからずっと応援している漫画家さんは勿論。最近は読んで面白かった作品、続きを読みたい作品にも新刊を読んだら積極的に手紙を出す様にしています。
以前とある新連載を読んだ時の衝動に駆られて、翌日にすぐファンレターを出したことがありました。
その後機会があって漫画家さんのサイン会に伺った際に、サイン会って大抵宛名が入るので名前を記載した時
「あ、前ファンレターくれましたよね?1番最初に届いたファンレターだったんですよ。編集部さんからスキャンして送られてきましたよ。」
とにっこりその漫画家さんに言われ驚きと妙な感慨を覚えたことがあります。
(本人の励みに!と担当編集さんがすぐに手紙をスキャンして送ったとのことでした。)
大体は編集部に到着した時点で一度中身が読まれてチェックされるようですが、そこから先に繋がることも少なくないようです。
好きを「好き!」だと声に出すこととその先を想像する。
私はずっと作品でも人でも
「自分は見てるだけで充分だし、自分みたいな片隅のファンなんていなくても変わらない。」
「手紙なんて出したところで読んで貰えるか定かじゃないし、自己満足だよね。」
とずっと思っていたのですが、
実際は意外にそうでもないと言うこと。そして、自分の好きな想いを声に出して伝える努力をすることで、その好きな作品や俳優さん、作り手さんの次が繋がる可能性があると言うことが最近ようやく解ってきました。
今は先に続いて欲しいもの、そして好きな俳優さんや作家さんには積極的にアンケートやファンレターを書く様にしています。
どんなに好きでも、続かなければ意味が無い。
好きな気持ちは思っているだけでは伝わらない。
冒頭の知り合いの様な応援の仕方は私には恐らく出来ないのだと思いますが、自分は自分なりに、自分の好きなものが沢山の人に知って貰えて、それが先に進める様な応援の仕方が出来たら。
その為に作ってる本人にも、作られていることを知らない誰かにも片隅からほんの少しだけ自分の「好き」と言う気持ちが伝えられれば…ちょっと幸せかも…と思って、今日も私はツイッターで好きなものの話をしたり、ファンレターを書いたりするのです。
手紙を書きたい
手紙を書くのが好きです。
昨今、
メール、LINEと電子系のコンテンツが発達してますし、
SNSもメールサービスの様なものも付随してくるので
色々な人と瞬時にやり取りが出来ます。
とても便利。
私も多分に漏れずその恩恵に預かっています。
でも、だからこそアナログな手紙を書くと言う行為が好きだったりします。
郵送する手紙に対する個人的なこだわり
私は、好きなデザインの切手のデザインに合わせて便箋や絵葉書のデザインを選ぶのがとても好きです。
写真は最近買った切手と便箋。
季節毎に春夏秋冬グリーティング切手が発売されるのですが、
春先のものは桜の形にカットされていて毎年とても可愛いのです。
桜の形の切手に合わせて桜の便箋を購入しました。
夏や冬は暑中・残暑見舞いや、クリスマスカードに使用するのもとても楽しい。
また、郵便局員さんにも
「人気ですよ!」と言わしめる
ホログラムの箔押しがしてある星座のシリーズの切手。
貼ってあると見栄えがして本当に綺麗です。
こちらもこの切手に合わせて箔押しの星を題材にした便箋や封筒を購入しました。
その他にも結構な頻度で郵便局では記念切手や特殊切手が発行されます。
http://www.post.japanpost.jp/index.html
題材はグリーティングデザインや季節の行事から、アニメや風景、絵本作家さんの作品など様々。
普通の封書も好きなのですが、絵葉書で切手を含めて手紙のトータルデザインを考えるのも好きです。
その時の気分や相手に合わせた切手をチョイスするのもとても素敵だと思います。
特殊な消印と郵頼サービス
普通の消印ではなく、絵柄の入った消印を
記念切手発売のタイミングや
各種イベント、
また、各観光地等で押してもらう事が出来ます。
地方の郵便局でも本局で風景印は捺印してもらう事が出来るので気になる方は要チェックです。
https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/kogata/
ちなみに、「行くのは遠いけど自分も絵柄の入った消印が欲しい!」と言う方は
”郵頼”と言うサービスがあります。
郵便局のHPに載っている特殊な消印はほぼ全て郵頼で捺印をして貰える様です。
(ただし、記念切手を基にしたものは期間が区切られている場合がある様子。)
依頼の仕方としては
該当の消印サービスを行っている郵便局に
切手と切手を貼る台紙(葉書、封筒等。恐らく貼ってしまっても可)返信用封筒と
別紙で「この辺りにこういう風に切手を貼って、この辺に捺印してください。」
と図解したものを全て同封して送付します。
そうすると消印が捺印されて戻ってきます。
これは郵頼して押して戴いたもの。
美術館等で郵便局が併設されていたり、出張所が開設されていたりすると、イベントで消印を捺印してくれるところもあります。
興味がある方要チェックです。
手紙は手軽で小さな贈り物
冒頭に戻りますが、改めて
私は手紙を書くのも、貰うのも好きです。
SNSでお世話になっている方々には
本当機会があれば色んな方に手紙をしたためたいレベルには好きです(笑)
でも実際はそんなこと難しいですし、
近しい友人には近しい分そんなに手紙など気恥ずかしくて出さない。
そして、メールがあるからそんなに頻度が多いものでもありません。
でも、だからこそ貰えたら嬉しいし、
大切に相手に言葉と思いを届けたいと思う。
友人の誕生日やお祝いでは基本的にプレゼントと一緒に必ずカードを同封するようにしています。
相手のことを考えてカードや便箋、切手を選ぶ。
そして、相手のことを考えながら言葉を紡ぐ。
手書きで相手に気持ちが伝えられるツールである手紙は小さな贈り物ではないかなあ。
と思っています。
そんなツールを私はこれからも大切にして行きたいと思うのです。
【ネタバレ観劇感想】メサイア〜暁乃刻〜
『メサイア~暁乃刻~』いよいよ明日大千秋楽ですね。
本当におめでとうございます。
相変わらずの製作スタッフさんや俳優さんの熱量をひしひしと感じる素晴らしい舞台でした!
同時に相変わらずの凄まじい作品でもありました…
メサイアシリーズ新作にして新章開幕。
新章にしていきなり
「メサイア不在の白崎護卒業ミッション」
と言う最初からクライマックスな文字が踊ります。
前作の舞台『鋼ノ章』はシリーズきっての衝撃作だと思っていましたが、
『暁乃刻』も負けずとも劣らない衝撃的な展開でしたね。
メサイアは登場人物の生き様を色濃く描いている作品だと思うのですが、
今回も護と淮斗を中心にそれぞれの生き様をまざまざと見せつけられた話でした。
今回は敵味方問わず魅力的な新キャラ・新キャストさんが沢山出てくる中、
座長として舞台とシリーズとを1人で背負った白崎護役の赤澤燈くんのカーテンコールのお辞儀の姿がいつも印象に残っています。
ちなみに
「『暁乃刻』がメサイア初めてです!」
と言う方は、今回の作品は主要登場人物の見せ場が過去の作品にかかってきているので、以前のシリーズ『紫微ノ章』『鋼ノ章』を押さえておくとより話が繋がると思います。
以上の過去作の話も交えつつ
今回の話の中心となる赤澤燈くん演じる白崎護と廣瀬大介くんが演じていた悠里淮斗。
そして、同じく先輩サクラとして名を連ねる井澤勇貴くん演じる有賀涼と杉江大志くん演じる加々美いつき。
この4人の先輩サクラの話を中心に長いネタバレ感想をこれから書き連ねたいと思います。
本当に長いです。凄くネタバレです。
以上の事を加味してご興味のある方は読み進めていただければ幸いです。
まず『暁乃刻』のあらすじ
単独でのミッション中に敵に拘束されてしまう白崎護。激しい暴行を受け、死を覚悟した瞬間に、突然暴漢達が突然互いの頭を撃ち抜き彼は一命を取り留めます。
しかし、白崎が拘束されていた間メサイアである悠里淮斗が突然失踪。悠里の失踪の理由が分からぬまま、言い渡される白崎の卒業ミッション。時を同じくしてチャーチのシステムが”ネクロマンサー”と呼ばれる高度に発達した人工知能にハッキングされ乗っ取りを受けます。
悠里の失踪と”ネクロマンサー”の開発には加々美のおじであり北方連合のスパイであるチェーカーと公安五係長の一嶋が関わっていました。秘密裏にチェーカーと手を組んでいたDr.TENの手によりチャーチのサーバーを遮断され、行き所を失った”ネクロマンサー”はその依り代になるべく、チェーカーによって脳内にマイクロチップを埋め込まれていた加々美の身体を乗っ取り、北方連合の手に渡ってしまいます。
悠里の失踪の真実を知った白崎は”ネクロマンサー”の無力化。即ち加々美の殺害と事態の収束の為、加々美のメサイアである有賀と後輩たちと共にチェーカー達の元へむかうこととなるのです…
白崎と悠里の選んだ道
〜彼らのメサイアの形と生き様〜
白崎と悠里の話に関しては、彼らがサクラになるまでを描いた『紫微ノ章』と今回の『暁乃刻』での
「生ける屍と化した意思を持たぬ兵士(『紫微ノ章』ではG、『暁乃刻』ではスペクター)が遠隔操作で、白崎の周りを制圧し、危機に陥れる。
それを目にした悠里が白崎を守る為に一歩踏み出して行動を起こす。」
というとてもよく似た符合点が挙げられます。
意図的に内容をなぞっているのかは解りませんが、『紫微ノ章』で引き籠りだった悠里は白崎を助ける為に踏み出して、外の世界に出ます。
そして『暁乃刻』では「白崎を助ける為に高度に発達した人工知能ネクロマンサーと自分の脳を融合させる。」という白崎を守る為の自分の命を賭した究極の選択に踏み出すのです。
結果として悠里は高度な人工知能として存在することとなります。
サクラはメサイアであってもチャーチを卒業すれば離れ離れにならなくてはいけない。前作の舞台作品『鋼ノ章』で「護と離れたくない。」と取り乱しながら有賀に訴えていた悠里。人工知能となった悠里は電脳の依り代があれば、2 度と白崎と離れずに側で彼を守ることができます。ある種悠里の最も望んでいた、究極のメサイアの形かもしれません。
しかし、裏を返せば人間の姿をした”悠里淮斗”としては 2 度と白崎に会うことが出来ない。生きていると言えば生きているけれど、肉体的には完全に死んでいる訳です。 いつか訪れるであろう「零杯ノ日」にも彼らはどんなにそばにいても実体として出会うことは出来ないのです。
今回パンフレットの冒頭で脚本家の毛利さんが「魂はどこにあるのだろうか。」という命題を示していますが、そもそも『人工知能となった悠里は果たして悠里淮斗と言えるのだろうか』という哲学的な命題にも行きつきます。
それでも白崎は言います。
「俺がここにいるってことは、お前がそこにいるってことだ。」
白崎が悠里の存在を承認すれば、共に生きた証を持っているならば、その存在は実体でも人工知能でも悠里であると言うこと。
こんなにも「メリーバッドエンド」と言う造語がしっくり来る関係性と話があっただろうか…
と最初に観劇をした後の私は驚愕しました。
悠里と白崎の究極のメサイアとしての選択であり、
その選択は彼らの関係も生き様をも示しているようでもあり、
最後に悠里を象徴する電脳のマッピングが白崎に取り込まれ、清々しい表情の白崎が走り出すと同時に暗転するラストの演出が、光とも闇とも取れぬ彼らの行く末を暗示しているようでとても印象的でした。
「一緒に暁を見に行こう。」
の最後の白崎の台詞の通り、彼らの選んだ生きる道が暁の前の暗い闇を超えて光射すことを願ってやみません。
有賀と2人のメサイア
〜間宮との誓いといつきの願い〜
もう一方のメサイアである有賀と加々美。有賀が加々美の「下の名前を呼べない」という点以外は至って良好。
有賀は加々美を始めとして白崎や後輩たちの小さな変化にも気づき、常に気にかけてますし、加々美も加々美で様々なシーンで有賀への感謝や信頼を滲ませています。
…とここまで書くと非常に良い関係のメサイアに見えますが、
彼らの関係性に関しては有賀の元メサイア間宮の存在無しにしては成り立たないある種の大きなジレンマを抱えていると思うのです。
前作のシリーズまで見ていた方は解ると思うのですが、元々有賀は感情を持たない完全無欠の殺人機械の様な人間でした。
そんな殺人機械から人間へと成長した背景には元メサイア間宮の存在が大きくあります。
有賀が機械から人間に戻ったきっかけであり、人間になった先の人生全てを構成していたと言っても過言ではない存在。
しかし、有賀はメサイアになる前から救い人であった大切な相手を手にかけねばいけなくなってしまった。
有賀の加々美に対する行動の根底には全て間宮に対する意識が見え隠れします。
もっと言えばいつきの向こうに有賀は間宮を見ています。
当然、聡い加々美はそれに気づいている。信頼はしているけど、そんな有賀の態度に対して若干の苛立ちも感じている。そんな加々美が間宮と別の形で関係を進める行為が「下の名前で呼んで欲しい。」と言う願いだったのではと思うのです。
劇中の恐らく有賀一番の見せ場である加々美奪還シーン。
間宮のメサイアとして彼との誓いを口にし、しかし、それ故に弱くなった己を嘆き、加々美のメサイアとして名前を呼ぶ約束を果たす有賀。
その 2 人に対する行為が1つのシーンで並行して出てきた時、有賀の全てがやっと繋がった気がします。
https://m.youtube.com/watch?v=39ReWB_2ZAA
昨年のイベントで上演されたプロローグの抜粋動画ですが、間宮に対する有賀の「誓い」と「弱くなってしまった」一端はここの後半のパートにほぼほぼ集約されていると思います。
恐らく間宮に手を下していなかったら。
先に手を下したメサイアが間宮以外だったら。
有賀は加々美に容赦なく手を下せていたのではないかと思うのです。
「愛故に人を憎み、愛故に人を殺す。」
間宮・加々美と有賀を示すような台詞を加々美に言わせたのも ( 正確にはネクロマンサーですが。 ) 何とも言えない気になりました。
ここのメサイアの関係性は正直色々な考え方の方がいると思いますし、どの立場に重きを置くかで意見や解釈が変わると思うのですが、
私は有賀にとっては間宮も加々美も大切なメサイアであってほしいので、
間宮の存在を踏み台にしていつきと進むでも、
有賀の中に生きる間宮にいつきが囚われるでもなく
間宮の存在を背負い、抱えたまま、いつきと向き合って、並んで有賀には歩いて欲しい。
願わくばどちらかを切り離すのではなく、3人共に報われる道が拓けて欲しいと私はずっと思っています。
戦友としての白崎と有賀
〜後輩サクラの歩む道〜
後輩サクラの歩んできた道のりを示すのに象徴的なのは
劇中での”チャーチ鉄の掟”の使い方
ではないかと私は思っています。
”チャーチ鉄の掟”をサクラ候補生が口にする時。
それは即ちメサイアの絆が結ばれる時。
『翡翠ノ章』では珀と鋭利が卒業する時に、後輩達がこの掟を唱和し、
彼らは後輩たちに見送られて華々しく卒業していきます。
これからもこの掟の下に繋がる絆を確認する様に。
その見送った後輩のサクラ達がその”鉄の掟”を口にする時も当然メサイアとしての絆が結ばれる時です。
『鋼ノ章』では戻れぬ道を歩んだ間宮が全て手遅れになってしまった先に有賀の真の想いを知り、「君が俺を殺してくれ」と有賀に懇願し、間宮に対して有賀が銃を向けるとき。
『暁乃刻』ではネクロマンサーに取り込まれた悠里の存在を呼び起こすため、過去の共に過ごしたデータをネクロマンサーに送り込みながら白崎が呼びかける時。
いずれも後輩サクラたちの絆が結ばれるのは相手の“死”に向き合う時であり、彼らのある種永遠の絆と離別を意味しています。
有賀は今は加々美と言う大事なメサイアがいますし、悠里も決して消滅した訳ではありません。
しかし、彼らは形や状況は違えども、互いの大切な半身を失っているです。
サクラになる前は白崎は公安として光の下を歩んできたヒーローだとすれば、
有賀は暗殺者として闇を暗躍するダークヒーロー。
サクラになる手前に歩んできた道は正反対。
でも進む道やベクトルが最終的には一緒。一番近くで互いの道のりを、痛みや苦しみを見てきて、1番知っている相手。
彼らは、メサイアとは違ういわば「戦友」のような関係性だと思っています。
ラストでチャーチを1人後にした白崎に対し、有賀が「また、いつか」と自分のハンドガンを渡し、それに対して「必ず」と自分のハンドガンと共に言葉を返す白崎のシーンを観て胸が熱くなりました。
今回の白崎の卒業には先輩達の様に華々しく、ある種祝福されたムードはありませんでした。
しかし、この有賀と白崎の短いやりとりに、互いの熱い信頼や、本来は持ってはいけないとされる友情、何より有賀と白崎の築いてきた関係性が全て集約されていた気がします。
登場人物達の謎と彼等が歩む茨の道
夏の今回の舞台を埋める新作映画
そして、東京公演終了後秋口の新作も発表されました。
有賀と加々美の恐らく卒業ミッション。
しかし、今回の展開を見るにつけ恐らく一筋縄ではいかないでしょう。
特にやはり、ここのメサイアの関係には、重ね重ねもう1人のメサイアの存在を無視する訳にはいかない気がするのです。
「間宮がまだ生きていると思うのか」
と有賀に問う加々美の真意も気になるところ。
実際まだまだ今回登場したキャラクターも多くの謎を残して終わりました。
一嶋係長を気にする新サクラ候補生の橋本真一くん演じる小暮洵や、
今回出てきた山田ジェームズ武くん演じる”サリュート”の他にイベントの時には”キヨスク”と言うコードネームの北方連合スパイも出てきましたがまだこちらの方は舞台には出てきていません。
後輩サクラの歩む道は先に卒業していった先輩サクラ以上に
これまでも、これからもどうしようもない位の茨道であるように感じます。
彼等の紡いできた物語は恐らく話の展開上としては最善の選択。
しかし、その結末は、彼等のその選択は果たして幸福なのか。不幸なのか。
正直何度観てもきっと答えは出ないでしょう。
私は我々の想像の余地が残された余白ある舞台作品は魅力的だと私は思っています。
答えの出ない仄暗い余白。
その先にあるのはより深い闇なのか。
それとも微かな光なのか。
これこそ私を捉えてやまないメサイアの魅力なんだと思うのです。
後輩のサクラたちが歩む茨の道の行く末を、その上に成る生き様を。
この先も刻み付けながら「メサイア」シリーズを見守り続けたいと思います。
メサイアと私
前回はメサイアの紹介だったので
今回はメサイアと自分がどう出会っていったのか備忘録的な感じでダラダラと書き連ねたいと思います。
メサイアとの出会い
元々妹が染谷俊之さんのファンで、染谷さんの出演作品で公演に行けなくなってしまったチケットをよく譲って貰っており、メサイアもその1つでした。
その頃さして本腰を入れて観劇もしておらず、本当妹のおこぼれで行けるだけで充分…と思っていました。
『メサイア』
事前に公演内容のHPに目を通しても
大したあらすじも書いておらず。
非常に失礼ながら
「煽り文句がBLぽいな。」
と思っていました。
(本当すいません。)
そんなこんなで迎えた観劇当日
黒い衣装をたなびかせながら華麗なガンアクションが目の前で生身の人間が繰り広げていることに、両方が大好物な私は震えが止まらず。
アクションだけではなく、登場人物の人間ドラマ、そして脚本としてのどんでん返しも見事に描かれていて。
見終わってから
「もの凄く面白いものに出会ってしまった…!もう一度見てみたい!!」
と渇望している自分に気づくのでした。
初めて観た『翡翠ノ章』は
小野健斗さん演じる珀と松田凌さん演じる鋭利の卒業ミッションと言う題材からスポットも完全に2人に当たって非常に内容として明瞭だったのも良かったのだと思います。
ただ、シリーズの登場人物の関係性が解らない部分もあった為、それを知るため過去のDVDを遡り始めると、次から次へと各キャラクターの関係性が気になり、気付くと姉妹で全作揃えていました。
そこから暫くして。
「新作やるよ!染谷さん主演だよ!」の妹の声に、ここがより深い沼への入り口だと知る由もなかったのです…。
観劇の道を決定付けた『メサイア〜鋼ノ章〜』
そして約半年後に公演された新作
「鋼ノ章」
初日に観に行った妹が号泣して帰宅。
帰宅してからもずっと泣き続けているのを観てとんでもない舞台だったとは直感していたのですが、本当にこれがとんでも無かったのです。
言うなれば
「終焉を迎えたことで結ばれた絆」
の話でした。
過去のメサイアのシリーズはメインのバディを組んでいる登場人物達が関係性を理解し絆を深めることで話が完結して行くものが多いのですが、
鋼では2つの関係性の終焉がとても鮮やかに描かれていました。
話の中で全ての退路を断ち、どう転んでもその終焉に行き着くしか無い毛利さんの脚本。
それを彩る西森さんの素晴らしい演出。
極限の状態で最上級のアクションと、振り切れ溢れ出す感情を描き出すW主演の染谷さんと井澤くんの演技。
どれをどう切り取っても本当によく出来た素晴らしい舞台でした。
でも、一度に全てを受け止めるには余りに悲しく重い内容で、
悲し過ぎて涙も出ず、
余りの衝撃に劇場を呆然として後にし、
頭が真っ白の状態で「何か食べないと」とたこ焼きを1人で劇場に隣接するフードコートで突いたことを覚えています。
でも不思議なことに。
抉られる舞台ってもの凄く強く惹かれるのです。強く残るのです。
気づくとあの悲しみに対する出ない答えを求めて
元々チケットを取っていた以外の日にちも、当日券を求めて私は就業後に電車に飛び乗っていました。
そして、こんな人の心を穿ち続ける作品を作る人たちは、
果たして他に
どんな作品を作るのだろう。
どんな演技を魅せるのだろう。
そう思ったのが『メサイア』の世界にどっぷり足を踏み入れたきっかけであり、
観劇にハマるきっかけでもあるのでした。
今週末から上演が始まる新章『暁乃刻』
また、登場人物達がが生き抜く過酷な世界のひとりひとりのドラマに心を打たれ、涙するのだと思います。
感想は観劇したらそっと上げたいと思っています。